2013年04月13日

光瀬龍のペンネームの由来について(宮野由梨香) 

【資料アーカイブ】
 次の文章は、宮野由梨香が光瀬龍のファンクラブ「東キャナル市民の会」に初めて伺った時(二〇〇九年八月二日)に、「名刺代わりに」ということで持参した自己紹介の文章である。(全くの個人情報に当たる部分は削ってあります。)(宮野由梨香)

光瀬龍 SF作家の曳航(えいこう) (ラピュータエクセレンス) [単行本(ソフトカバー)] / 光瀬龍 (著); 大橋博之 (編集); ラピュータ (刊)異本西遊記 (ハルキ・ノベルス) [新書] / 光瀬 龍 (著); 角川春樹事務所 (刊)


「東キャナル市民の会」の皆さまへ(名刺代わりに書いてみました) 

 はじめまして。宮野由梨香と申します。よろしくお願いいたします。
 お目にかかる機会をいただけて、とても嬉しく思っています。
 きっかけを作ってくださった方々に感謝いたします!

 さて、大橋さまの「光瀬龍は、なぜ光瀬龍なのか」(『光瀬龍 SF作家の曳航』所収)を読んだ時は、びっくりしました。
 「ペンネーム」について、「光瀬がその由来が広まることをもっとも嫌がったため、知っていても誰もそれを公にはしようとしなかった」だなんて! 
 全く存じ上げませんでした。応募稿を飯塚千歳さまに御覧いただいた時も、「ペンネームの由来」に関する部分は、全然話題になりませんでした。
 そういうことでしたら、私、光瀬先生に対しても、皆さんに対しても、申し訳ないことをしてしまいましたね。
 ごめんなさい。私の認識不足というか、不注意でした。公表前にもっといろいろ確認すべきでした。
 拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か」の(註)9で示した「ペンネームの由来を光瀬先生から伺った愛読者」とは、実は私自身のことです。私のような単なる一読者にすぎない者にお話しになるくらいですから、当然、ある程度熱心なSFファンあるいは光瀬ファンなら、誰もが知っている程度の知識なのだと、ずっと思い込んでいたのです。
 光瀬先生がどうしてそんな貴重な情報を私にお明かしになり、しかも口止めをなさらなかったのかは、わかりません。
 しかし、伺った時の状況を考えると、ある程度の推測が成り立たないでもないです。
 というわけで、自己紹介も兼ねまして、光瀬先生にこれを伺った時のことを、お話ししておきたいと思います。

 そこに行き着くためには、まず、光瀬先生と私との出会いからお話ししなくてはなりません。
 私は、十九歳の時(一九八〇年)、大学の学園祭での「講演」を通じて光瀬先生にお会いしました。
 二度とお会いする機会などないだろうと思った私は、それまで疑問に感じていたことを、いろいろとお尋ねしました。 
 まともなお返事は全く戴けませんでした。
 「『百億の昼と千億の夜』の「あとがきにかえて」の中にある経典の話の出典ですか? 今、ちょっと思い出せないけれど、ちゃんとありますよ。経典はたくさんあるんですから、どんな話でもあるものなんですよ」
 「転輪王と天輪王は違うのかって? 字が違うんですから、当然でしょう。あなた、同音異義語ってわかる?」
 すべてが、こんな調子でした。
 その後、その年の「共通一次テスト」のことが話題になりました。『ロン先生の虫眼鏡』の「あとがき」が問題文となった年でしたから。
 「正答に疑問がある。試験問題に関する「時効」が成立する四年後に、このことについて書こうと思っている」
 という意味のことを光瀬先生はおっしゃいました。
 この時、私は次のように申し上げました。
 「作品を仕上げた後は、作者といえども単なる読者のひとりです。「読み」において、何ら特権的な位置にはいませんよね」
 すみません。 別にケンカを売るつもりはなかったんです。
 ただ、作者に会えば何かがわかるだろうと思っていた自分自身の考えの甘さに、腹を立てていただけなんです。
 言いたいことが、あまりよく伝わらなかったと思った私は、その後、光瀬先生に手紙を書きました。
 「「解釈」とは常に行為である」……そういう意味のことを書いたと思います。
 「解釈」とは「作品を読むという行為そのもの」であって、「行為の結果」ではない。まして、「結果を書きとめたもの」ではない。「書き留めたもの」にはまた「読むという行為」で接するしかないから、どんどんズレていく……。そういうことです。
 その後、連絡をいただいてお会いした時にも、そういった話をしました。
 「だから、「読み」は決して「作品」そのものに追いつけないし、まして「評論」は「読み」にさえ追いつけない。それを承知の上で、私は「光瀬龍論」を書いてみたい。でも、それについて、あなたの助力を得ようとは思いません。あなたの存在は、私が「評論」を書く上ではむしろ邪魔です。「敵」と言ってもいいくらいです」
 そのことについて、次のような説明をしたことを覚えています。(皆さま、失笑なさるでしょうが…)

 「この世界は神のものではない。我々のものだ!」
 (萩尾望都版『百億の昼と千億の夜』中の阿修羅王のセリフ) 
 これをもじって言うと、次のようになります。
 「作品世界は、それを作り出した神である作者のものではない。それを読む我々読者のものだ!」
 (宮野由梨香の「評論執筆の基本姿勢」)
 
 当時の私としては、当たり前のことを確認しただけのつもりでした。(もちろん、今にしてみると「うわぁっ、なんて生意気な!」です。……すみません。当時、かなりピリピリした生き方をしていたものですから…)
 それでも、光瀬先生は特にお怒りになったご様子もなく、また会おうとして下さいました。
 しかし、お会いしているうちに、私の方には、「では、いったい何のために、お会いしているんだろう?」という疑問がだんだん膨らんできていたのです。それが、ある時、爆発してしまいました。
 「私は、もうあなたとは会いません。そもそも私が「光瀬龍」に出会えるのは、作品を通してだけでしょう? 会うことが可能なのは「飯塚喜美雄」にだけであって、私は飯塚喜美雄さんには何の興味もないんです」
 こんな失礼な小娘、普通なら「こっちから願い下げだ」と放っておくと思うのですが。 
 光瀬先生は「下手な文章で論じられるのは、作家にとって不愉快なものなんだ」という意味のことをおっしゃいました。
 「そういうことを言うのは、せめて、まともな文章が書けるようになってからにするんだな」
 要するに、まともに「書く」ことができるようになるまでは、自分のところに修行に来い、ということです。
 私は敵に後ろを見せることを潔しとしないので、思わず受けてたってしまいました。
 今の私の文章に多少なりともマシなところがあるとしたら、それは光瀬先生が私の文章を添削してくれたり、「読ませ方」とか、構成の仕方について教えてくださったりしたおかげだと思っています。

 さて、そんなわけで、私は卒業論文も光瀬先生に読んでいただきましたし、修士論文を書く時も相談にのっていただきました。
 その過程で「作者とは何か」論争を、何度かやりました。
 基本的に「実存主義」と「構造主義」の代理戦争みたいな内容でした。一九八〇年代に大学教育を受けた私にとって、「構造主義」は「常識」でした。光瀬先生は、他の方々の作品分析に関しては私以上に「構造主義者」でした。なのに、ご自身の作品に関してはいきなり「実存主義者」になるのでした。
 あの「ペンネームの由来」を伺った日もそうでした。
 「あなたは、作品が作者の精神活動の所産ということを認めないんですか?」
 と、光瀬先生はおっしゃいました。
 「認めますけど、作品に意味をもたらすのは、読者の「読む」という行為ですよ」
 と、私は答えました。
 「じゃあ、あなたは、チンパンジーが絵の具を投げて出来た絵が、偶然、絵画として見られるものに仕上がっていたら、それにも絵としての価値を認めるんですか?」
 私は絶句しました。
 『ロン先生の虫眼鏡』の著者の言葉とも思えなかったからです。
 『チンパンジーに「精神」がないって、誰が決めたの?』
 『「偶然」って、誰が判断したの?』
 『どうして、そんな素朴で粗雑なことをおっしゃるの?』 
 こんな疑問が頭の中をぐるぐるし……、私はあることに思い当たりました。拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か」をお読みの方は、私が何に思い当たったか、御推察して下さることと思います。
 この議論は、もうこれ以上、進めない方がよい。でないと、私はとんでもなく失礼なことを申し上げかねない。……そう思いました。 
 だから、私は、いきなりプラグマティストになりました。
 「光瀬先生が、そうお思いになることによって、よい作品が生み出されるんでしたら、それが「正しい」作品観なんでしょう。そういうことで結構です」
 光瀬先生は、憮然となさっていました。
 とり繕うように、私は言いました。
 「私、プラグマティストの両親に育てられたんで、何だかんだ言っても、最終判断はそこに行ってしまうんです」
 「ああ、戦後の精神って、結局はそういうことだったね。……そう、そういう人は多いよ。しかも自覚がないんだ。あなたは自覚があるだけ、いい」
 どう考えても、これは褒め言葉ではありませんでした。その後に、いきなり言われたのです。
 「光瀬龍のペンネームの由来を知っていますか?」
 「いいえ、存じません。由来があるんですか」
 ペンネームについては、初対面の時に「光瀬龍というお名前は、フランス語の「ミステリュウ(ミステリアスな、という意味)」と関係があるんですか?」と尋ねました。その時は「ありません」というニベもないお返事だったのです。
 「井上靖に『チャンピオン』という作品があって、その中に出てくる韓国人のボクサーの名ですよ。ほんのちょっとしか出て来ないんだが、強烈な印象を残す人物で……。」
 思えば、変に饒舌でした。
 「韓国人のボクサー」と確実に光瀬先生はおっしゃいました。井上靖全集で確認したら、ボクサー「光瀬龍」に関して「韓国人」という設定はどこにもありませんでした。「阿修羅王は、なぜ少女か」を仕上げるために、「チャンピオン」の初出を洗いましたが、そこにも、そんな設定はありませんでした。謎のひとつです。
 光瀬先生、よほどお怒りだったんでしょうかね? で、つい話してしまったとか?
 しかも、この流れでは、「口止め」とか、しづらいですよね。
 ……すみません。若気の至りというか、本当に私は失礼を繰り返しておりました。
 
 光瀬先生は私の「就職」に反対なさいました。更に進学して文学研究のプロを目指せとおっしゃって下さいました。
 「就職のための試験を受けに行ってはいけない」という内容の、長文のお手紙を戴いたこともあります。
でも、光瀬先生の「才を惜しむ」とのお言葉は、私には「買いかぶり」にしか聞こえませんでしたし(これは今でもそう思っています)、「若いんだから、戻るべき橋など自ら焼き落としなさい」という励ましも、「なんて無責任な」としか思えませんでした。この時もまた「若気の至り」で、かなり失礼なことを申し上げてしまった記憶があります。
 私はあまり有能な方ではないので、いっぺんにそう多くのことはできません。きっと、本当に「才」のある方ならできるのでしょうね。先生の御期待に沿えなかったこと自体が、私の「才の無さ」の証明とも言えるでしょう。
 就職してからの四年間、私は全く先生のところに伺いませんでした。

 私がいきなり『海のトリトン』に関する草稿約三〇〇枚を書いて、先生の所へお持ちしたのは、一九九三年のことでした。
「今さらふざけるな」と言われても仕方のない立場だという自覚はありました。でも、先生は、私の「身勝手さ」と「虫のよさ」を責めたりなさいませんでした。文章を直し、構成を組み替え、出版に向けていろいろアドバイスを下さいました。
 指摘して戴いたところを直してはまたお持ちして、読めるものに仕上げていく過程で、私はようやく思い至ったのです。
 もしかしたら、私は、既に充分に傷ついている魂の傷口をえぐるような発言と所業を、無自覚にずっと繰り返していた? そして、光瀬先生は、それをずっと我慢して下さっていた?
 一方「単なる一読者にすぎない私が、そのように考えること自体が傲慢なのかもしれない」とも、思ったりして……、でも、いったん、そのような可能性について考えてしまったら、「光瀬龍」については何も書けなくなりました。

 「受賞作」となった作品を書いたのは、全くの偶然でした。
 二〇〇六年の夏に、私はある近代文学者の研究会の会誌100号記念号のための原稿を依頼されました。とにかく忙しかった私は、光瀬先生のお手紙(その近代文学者についてお書きになったもの)を紹介することで何とかしのごうと考えました。以前から「死蔵させてしまうのは、もったいない」と思っていたからです。そこで、飯塚千歳さまに掲載の許可をいただくため、連絡をとりました。
 その時に改姓のことを伺いました。過飽和の溶液の中にひとかけらの結晶が投げ込まれたような感じでした。それまで混沌としていたことが一気に固まり、納得したというか、腑に落ちました。
 そのことを私は千歳さまに伝えたいと思いました。それでも、とにかく忙しかったので、私には千歳さまに手紙を書く余裕さえありませんでした。かつ、無能なくせに凝り性なので、「書くのなら、きちんと書くのでなければ嫌だ」というのがあったりして、そのまま一年近くが過ぎました。
 「このままでは、書かないままになってしまう」と思い、「しめきり」を自らに課すために「評論賞」に応募することにしてみました。
 だから、あの「受賞作」は本当に千歳さまに読んでもらうために、ほぼ、そのためだけに書いたものなのです。私としては、千歳さまに読んでいただいた時点で「終わった」気分でしたし、まさか受賞するとは思ってもみませんでした。
 あの「受賞作」について、私はかなり複雑な感情を抱いています。だから、飯塚千歳さまから二作目について御質問いただいた時も「もう書く気はありません」と答えたりして、失礼をしてしまいました。
 受賞してしまった以上、「責任」を感じなくてはいけないことは承知しておりましたが、いろいろ考えて、「私は「光瀬龍」と縁を切るべきだ」と改めて切実に思ったのです。そして、そのつもりで日々を送っていました。

 さて、今年(二〇〇九年)の一月末のことです。 別の本を探していたら、思わぬところに「光瀬龍」の本がありました。『異本 西遊記』(ハルキ・ノベルス(株)角川春樹事務所、一九九九年二月八日刊)です。
 「謹呈 著者」のしおりが入っていました。
 それで思い出しました。
 ちょうど妊娠が判明した時期に、戴いた本でした。
 つわりはひどいし、出産に向けて、同僚に相当の迷惑をかけつつ、仕事の分担を組み換えてもらわなくてはならないし……で、とにかく、精神的にも肉体的にも状況的にも全く余裕のない時でした。
 それでも、私は二十頁まで読んだのです。そして、そこで個人的なトラウマをピンポイントで刺激されて、読むのをやめたばかりか、その本を「封印」してしまいました。よほど忘れたかったのか、本当に、そのことをすっかり忘れていたのです。
 そんなわけで、今年の一月に「発見」して、パラパラと読んだら……
 作中に、「阿修羅王」「弥勒王」「梵天王」に「オリハルコン」まで出てくる!
 この作品は、『百億の昼と千億の夜』の「関連作品」であることは確実なのに、受賞評論ではリストに入れなかったばかりか、触れもしなかった!
 さらに、よくよく読んでみたら、どうやら、これは「関連作品」どころではない! 
「続編」です。『百億の昼と千億の夜』の「続編」です。
 私には、そう読めます。というより、そうとしか読めません。 これが妄想なのか確かめたい衝動にかられ、また論を書き上げてしまいました。四〇〇字詰め原稿用紙八〇枚で、次のような内容です。

(梗概)
 十年前に亡くなった光瀬龍の最後の小説『異本 西遊記』は、自らをガンと知る作家が入院中の病室においても書き続けたものである。彼はその作品の中に、読者への最後のメッセージを残した。そのメッセージを解読したのが本稿である。
 光瀬龍は『異本 西遊記』を『百億の昼と千億の夜』の後篇として意識して仕上げた。その「合図」として、作中に「弥勒」「梵天」「阿修羅王」を登場させた。また彼らの姿をあえて変えることによって、そこにメッセージをこめてみせた。
 『百億の昼と千億の夜』が作家光瀬龍の誕生の事情を封じ込めた「私小説」であったのと呼応して、『異本 西遊記』は光瀬龍の作家活動とその果てにたどりついた境地を語った「私小説」である。だから光瀬龍は、作品としての表面的な完成度や統一性を犠牲にしてまでも、『異本 西遊記』の中に過去の自作を想起させるような要素を多く入れ込んだ。また彼の作家活動の原点となったもの…井上靖・宮澤賢治の作品や、彼が活躍した時代を象徴するような言葉や概念も入れ、ついで、強く「死」を連想させる要素も入れて、この作品を仕上げた。
 また、この物語の結末は「御都合主義による大団円」になっている。これは「光瀬龍」が繰り返し描いた「冷徹な現実認識(いわゆるところの「光瀬節」)による悲劇的結末」と対を為すものである。現実生活において我々が切実に求める「ありきたりな大団円」は「御都合主義」によってしか与えられない。だからこそ、彼は「最後の小説」で、それをやってのけてみせたのだ。それは、「現実」への絶望の表現であるとともに、「現実の陵辱」からの救済を希求する魂の表現でもあった。
 光瀬龍は「魂の救済装置」としての「物語」の意味と、それを生み出す機構としての「作家」の意義をよく理解していた。その彼の最後の「捨て身のプレゼント」である『異本 西遊記』を、我々は正しく受け取らなくてはならない。 


 書き上げてみて、「やはり続編だ」との確信を強めました。
 わからないのは、そういった指摘を他ではあまり耳にしないことです。私が知らないだけでしょうか?
 この点について、皆様方のご意見をぜひお聞きしたいと思っています。

 「西遊記を書こうとして、いろいろ確認しているんですけれどね」
 連載を始める前だったと思います。そのような内容のお電話をいただいた時も私はそれに注意を払いませんでした。
 『異本 西遊記』をいただいた御礼もしてないと思います。あの時はもうどうしようもなくバタバタしていましたから。
 光瀬先生は、その五ヶ月後に亡くなってしまいました。
 ちょうど入院中だった私は、お通夜にも告別式にも出席できませんでした。
 「『百億の昼と千億の夜』の「続編」をお書きになったんですね」
 戴いた時に最後まで読んでいれば、そう申し上げることができたでしょうに。
 でも、きっと私以外の方が気がついて申し上げていらっしゃるに違いない。そう思いたいです。

 論を書き始めると、睡眠時間が極端に少なくなります。つい睡眠時間を削ってしまうので。
 申し訳ないことに、私は光瀬先生の作品すべてを厳密に読み込んでいるわけではありません。ここ十年間は特に遠ざかっておりました。いろいろ忘れていることが多いので、多分、論としては穴だらけだと思われます。それが気になって調べ始めたりして、また眠れなくなるという、悪循環にはまっています。
 「縁を切ろう」としたはずなのに、一年もたたないうちに、どうしてこういうことになってしまうのかわかりません。
 今回の「ペンネーム」の件で、また悩みが深くなっています。いったい先生は何を考えていらっしゃったんでしょうか?

 「作品が残るかと思うとね。残らないだろうね」
 一九九四年、亡くなる五年前に、光瀬先生が三十三歳の私の前で、つぶやくようにおっしゃった言葉です。
思えば、あの頃すでに先生はご自身がガンだと御存知でいらっしゃったんですね。
 「私が評論を書きますから」と申し上げることはできませんでした。私には何の力もなかったし、それに、自分の書くものは、むしろ「光瀬龍」にとって迷惑でしかないのかもしれないと思い始めていましたから。
 私は自分が『百億の昼と千億の夜』をどう読んだかを、先生に話をしたことは一度もありませんでした。
 ただ、「自分の「読み」については直接的に語りたくないし、語れないからこそ、「評論」として書くしかないのだと思う」と申しあげたことがあります。そう、十九歳の時にさしあげた手紙にもそのようなことを書きました。
 いつだったか、先生がさり気ない調子で、こうおっしゃったことを覚えています。
 「あなたが尋ねることを聞けば、何を考えているのかくらいはわかりますよ」
 「評論が文学たり得るのは、それが自己表現だからですよ。むしろ、自らをぶちこまなくてはならない」

 「阿修羅王は、なぜ少女か」を読んで、私の「読み」は「典型的な女性としての読み」で、基本的に萩尾望都さまと同じだと思った人が多いのかもしれません。読んで下さった方々の反応から、そのように感じました。
 そのようにお思いになるのも無理はないのですが、でも、それは違います。それなら、書く必要性は生じません。
 私があの評論を書いてしまったのは、自分の「読み」が限りなく「成立事情」と推測されるものと同じであることがわかったからです。…というか、あの「成立事情」こそ、私の「読み」です。だから、あれは「評伝」ではないのです。「作品論」です。
 光瀬先生の「あとがきにかえて」のパターンに倣って、私は「受賞のことば」を書きました。
 私にとって「阿修羅王」は最初は具体的な一人の人物で、そして後には自分自身でした。

 すみません。今さら取り繕っても始まらないので、懺悔もこめて、できるだけ正直に語ろうと努力したつもりなのですが、読み返して、また自己嫌悪に陥っています。
 しょせん「過去の回想」における「過去」とは、「過去そのもの」ではなく、「現在の視点で想起した過去」でしかあり得ません。その「恐ろしさ」からあえて目をそらすことによって、この文章は成立しています。先生と私が約二十年間に交わしたやりとりの中から恣意的に片言隻句を取り出してお見せするなんて、先生に対しても皆さまに対しても失礼で不誠実な行為です。それに、十九歳の時の私も三十三歳の時の私も、今の四十八歳の私とは「別人」です。今の私に「当時の出来事を語る」なんて、出来る筈もないのです。私にはたった今のことでさえ「語る」ことが出来ないのですから。
 ただ、光瀬先生を御存知の皆さまでしたら、それでも私は「単なる一読者」であったことを御理解いただけると思ったからこそ書いたつもりです。「光瀬龍」は、私のように無礼で恩知らずの読者に対しても親切で誠実な、尊敬すべき方でした。
 謝罪するつもりで、結局「自己弁護にもならないこと」を書き連ねてしまったことを、改めてお詫び申し上げます。
 今日はこの場に来させて戴きまして、どうも有難うございました。
 
(「『異本 西遊記』論」の一部抜粋をお目にかけておきます。)
 『異本 西遊記』での阿修羅王は、興福寺の国宝「阿修羅像」そのままの三面六臂の姿である。男なのか女なのか、いや、そもそも生物なのかどうかもわからない存在として描かれている。
 これは、「美しい少女」である『百億の昼と千億の夜』での相とは、かなり異なっている 。
 これをもって、「ただ、過去の作品中の登場人物の名前を使っただけの単なるお遊びで、『異本 西遊記』と『百億の昼と千億の夜』とは、本質的には何の関係もない」と見てしまう読者も多いことと思う。
 しかし、それこそが、「光瀬龍」の施した「罠」であり「謎掛け」なのである。「罠」にはまって「謎掛け」にこめられた「意味」を見逃してはなるまい。「光瀬龍」が「意味」もなく「阿修羅王」を登場させるわけがない。また、こんなふうに相を変えるわけもない。我々はそのことに正しく気づかねばなるまい。
 では、その「意味」とは何か?
 それを解く鍵は、この「相の違い」にこそある。
 この「相の違い」に仕組まれた「罠」と「謎掛け」について考える時、大いに参考になる作品がある。
 武田泰淳の「ひかりごけ」という作品である。二幕の戯曲 であるが、主人公にあたる「船長」という人物は、「第一幕」と「第二幕」とでは、全くその相を変えてしまっている。そのことについて、武田泰淳は「第二幕」の最初にこう書いている。

船長は、第一幕の船長に扮した俳優とは別の俳優によって演ぜられることがのぞましい。第二幕に於て、船長は、風貌聲音ことごとく第一幕の船長とは、別物でなければならない。ー中略ーもしも、主人公の全く変質してしまった第二幕を、第一幕の延長と納得できない場合は、第一幕と第二幕を、別個の劇と考えてさしつかえはない。                   (『武田泰淳全集 第五巻』 一九九頁)


 この発言の最後の部分の「罠」にはまって、「第一幕と第二幕を、別個の劇と考え」る愚をおかしてはなるまい。言うまでもなく、武田泰淳はこの「主人公の全くの変質」にこそ深い意味をこめている。そして、その「意味を読み取ることができる読者」の注意を喚起するために、ここでこう述べているのである。
 そういう読者なら、この「謎掛け」に気がつくはずなのだ。武田泰淳はまず、「第一幕」が始まる前に、このように述べていた。
 私はこの事件を一つの戯曲として表現する苦肉の策を考案いたしました。それは「讀む戯曲」という形式が、あまりリアリズムのきゅうくつさに縛られることなく、つまりあまり生ま生ましくないやり方で、讀者それぞれの生活感情と、無數の路を通つて、それとなく結びつくことができるからです。この上演不可能な「戯曲」の読者が、読者であると同時に、めいめい自己流の演出者のつもりになつてくれるといいのですが。
   (『武田泰淳全集 第五巻』一八五頁)

 「自己流の演出者のつもりになつて」この「主人公の変質」を受け止めて構築できる読者だけを相手に自分は書く……ここで、あらかじめ、そう宣言しているわけである。
 『百億の昼と千億の夜』(「前篇」)と「後篇」(『異本 西遊記』)との関係は、この「ひかりごけ」の「第一幕」と「第二幕」の関係と同じなのである。)
 光瀬龍は『異本 西遊記』について、何の「説明」もしなかった。ただ彼は、自らの「代表作」である『百億の昼と千億の夜』中のメンバーを、相を変えて登場させた。そして、そこに深い「意味」をこめたのである。
 「意味を読み取ることができる読者」の存在を、光瀬龍は信じていた。
 我々は、その信頼に応えなくてはなるまい。 

(参考…http://blog.tokon10.net/?eid=1059004 )                     

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2013年04月06日

『百億の昼と千億の夜』について(宮野由梨香)

【資料アーカイブ】
 次の文章は、宮野由梨香が18歳〜19歳の時(1979年〜1980年)に、所属していた漫画研究会の会誌〈TINY〉3号・4号に発表したものである。(名義は「Yurika」となっている。)若書きが非常に恥ずかしいのだが、現代の目で見ると面白い部分もあるのではないかと思い、こちらに提示することにした。当時の読者の受けとめ方の資料のひとつとなれば幸いである。(時事的な話題で、当時は皆が当たり前に知っていたことを踏まえている部分はあえて残しましたが、現代の目からみてどうかと思われる表現等は手直ししました。また、記号や表記を統一して読みやすくしてあります。)(宮野由梨香)

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☆『百億の昼と千億の夜』について☆
                                Yurika

 いささか古い話をするけれど……。
 私が小説のほうの『百億の昼と千億の夜』を読んだのは、高校1年生の秋。もう何というか、呆けたのよね。阿修羅王が好きで好きで。
 それから半年後、〈週刊少年チャンピオン〉にマンガ化の連載が始まったのだけど。
 それで考えたのだよ、こんなふうに。
 まず、マンガ版の方ね、原作との違いを拾っていくと、こういうふうに読める。
 マンガを描くということは正に「決して勝てず、しかも終わることのない戦い」。だから彼女にとって幸福になる道はただ1つ、「戦い(マンガを描くこと)をやめること」しかない。……彼女のまわりにいる男は雑魚か、でなければあと2種類。1つは彼女の戦い(マンガ)を理解し、彼女とともに戦う(描くことに協力する、あるいは同業者の)男。つまり、シッダルタ。彼には「私に説教してみるか」と言った彼女の悲しみが理解できなかった。(2巻206ページ。こんな会話は原作にはない。)もう1つは、彼女自身を愛し理解し戦いをやめさせようとする男。つまり帝釈天。彼には結局、彼女に戦いをやめさせることはできない。(2巻120〜123ページ。この会話も原作にはない。)彼女自身が戦うこと(マンガを描くこと)以上の情熱をもって愛することができる人物は決して現れない。まさに悲劇。
 そりゃあ誰もが山口百恵になれるわけじゃあないということは、私にだってよくわかっている。だけど、これじゃあ あまり ひどすぎる。
 同じ本を読んで同じ人物に魅かれても、全くその解釈がズレているということはあるものなのねということが、よ〜くわかった。
 では、私が小説のほうの『百億の昼と千億の夜』をどのように読んだのか、ということは、また次の機会に。
                      (〈TINY〉3号より)


☆『百億の昼と千億の夜』について・その2☆
                                Yurika

 私にとって『百億の昼と千億の夜』は、「どうせ死ぬのに、なぜ生きるの?」という質問への答えだった。
 それはさておき、「これって何?」なことがあるのよね。光瀬龍が「あとがきにかえて」で書いている経典が読みたくて捜したら、阿修羅王と帝釈天の戦いの由来って、阿修羅王の娘を帝釈天が妻として奪ったからだという話しか見つからないの。これって、光瀬龍の「つくり話」なんじゃないかなぁ。だから、うだうだとカーテンコールのことなんか最初に書いているのよ。じゃあ、どうして話を逆にして、もとの話にはない乾脱婆王だの天輪王だのを登場させたのか?
 『ロン先生の虫眼鏡』を読むと、どうやら光瀬龍って、結婚していて子供もいるらしい。ということは、「現実は逆」だから話を逆にしたんだよ。「結婚の拒否」の逆は「結婚の強要」。乾脱婆王って「婆」ってところが母親っぽい。とすると天輪王ってのは父親だね。
 でも、変だなぁ? ならどうして「天輪王のひとり娘」って書かないの? 天輪王には別に妻子がいて、一緒には住んでいないみたいな? 正式に結婚していないってこと? この世代って、ほら「男ひとりに女はトラック一杯」だから(中学校の時の社会科で習った。)、そういうのって多いよね。
 娘の身内が男に結婚を強要するって、理由は「娘の妊娠」だよね? ああ、そうか。だから阿修羅王はヘロデ王の赤子殺しを手を打って笑うんだ。
 直接の敵は帝釈天。タイシャクっていえば「貸借」だよね。身内あるいは本人に多額の借金でもあって、それをネタに強要されたのかな? そして、それを娘は何も知らないの。
 光瀬龍は、誰にも言えないことを抱えていて、嘘でしか本当のことが言えないんだ。
 だから、光瀬龍の小説は「誰にも言えないことを抱えてしまった人」の心を救うんだと思う。
                    (〈TINY〉4号より)
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