2013年10月24日

映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作が切り捨てたもの――『指輪物語』における“昏さ”の意義について(岡和田晃)


 私事で恐縮だが、1993年、小学6年生の時にひと月以上かけて四苦八苦しつつ『旅の仲間』の上巻を読み終えた時の感覚を、筆者はよく憶えている。そこからひたすらJ・R・R・トールキンの創り出した世界に魅せられ、その熱情はいまでも醒めずに持続している。率直に言って、筆者はトールキンに波長が合った。冗長であるとまま評されるホビット庄の歴史(パイプ草!)も素直に楽しめたし、作品の中心となっている「一つの指輪」がもたらす叙事詩的な苦悩についてもごく素朴に受け入れることができたのだ。

 荘重に読み上げられるエルフ語の響き。『マビノギオン』などケルト的な黄昏とも共鳴する孤独の情景。癒されることのない傷。哀切な死。かようにトールキンは彼岸への憧憬を隠さない。
 現に『指輪物語』の終幕部において、あるいは『指輪物語』の「追補編」の年表的な記述の一部として語られるエピソード内において、「一つの指輪」に関わった者たちはみな、遥かな西方へと旅立ったことが語られる。
指輪物語 1|J.R.R.トールキン/瀬田貞二/田中明子|評論社|送料無料
 彼らは去ったが、去り行くまでの過程については、ページを繰ればいつでも蘇る。「一つの指輪」をめぐる「大いなる年」の模様は「読み直し」(リ・リーディング)を経ることによって新たな意味を付与され、読み手の中で深められる。その過程には、ある種の“昏さ”がつきまとっている。その“昏さ”とは、いわば「ケルトの黄昏」(W・B・イェイツ)と、読み手の「内宇宙(インナー・スペース)」(J・G・バラード)を擦り合わせる行為によって生み出されたものだと言い換えることができるかもしれない。

 ――ひょっとして『指輪物語』が重要なのは、この“昏さ”ゆえではないか。
 それを真の意味で確認したのは大学生になり、ピーター・ジャクソンが監督した『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を劇場で見てからのことだった(2002年)。初回時には期待で胸が踊り、深夜、先輩と待ち合わせて新宿の劇場で(第一部)『旅の仲間』の映像を堪能したものだった。一回観ただけではもったいない気がして、劇場に通いつめ何度も観直した。しかし……観れば観るほど物足りなさが募ってくる。

 神は細部に宿るというが、細部にケチを付けたいのではない。初見の際に、その再現性に驚いた(霧ふり山脈の峻厳さには圧倒された)。浅瀬でフロドたちを救援に現れるグロールフィンデルがいつの間にかリヴ・タイラー演じる“健康的な”アルウェン姫に変わっていても、苦笑はしたが許容範囲ではあった(もっともこれは、映像で中つ国に触れられた喜びに勝るものはなかったというだけの話かもしれない)。
 いずれにせよ、筆者は『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を極めて高く評価している。しかし、求めすぎだと重々承知はしていたものの、やはり映画にはあの感覚が欠落していたと言わざるをえない。いや、原作の『旅の仲間』の色調、“昏さ”――この感性を、おそらくピーター・ジャクソンは意図的に排除したのではなかろうか。

 『指輪物語』はラルフ・バクシによって(原作の前半にあたる部分が)すでにアニメ映画化されていたが、バクシ版の『指輪物語』には、(クリーチャーを実写の映像をキャプチャーとして取り込むなどの)もろもろの試みによって、こうした“昏さ”を色調として取り入れようする試行錯誤が見受けられた。
 ジャクソンはバクシ版『指輪物語』を熱心に研究していたという。なのになぜ、バクシがトールキンから引き継いだ“昏さ”を受け入れなかったのだろうか。むろん、ジャクソンが“昏さ”を理解していなかったとは思えない。なにしろ、『ロード・オブ・ザ・リング』で世界的な大ヒットを飛ばす前、ジャクソンが監督した映画には、少女たちの「内宇宙(インナー・スペース)」の交歓を主題にした『乙女の祈り』にしろ、ルサンチマンに満ち満ちた(賛辞としての)B級ホラー『バッドテイスト』『ブレインデッド』にせよ、『指輪物語』の“昏さ”に呼応してもおかしくない部分が多々、見受けられたからだ。

 映画『ロード・オブ・ザ・リング』は箱庭的な映画であるとまま言われる。莫大な予算を投入し、アラン・リーのヴィジュアルに代表される「箱庭としての」『指輪物語』を、ピーター・ジャクソンは映像を通して再現しようとした(その模様は各種メイキング映像で触れることができる)。そして、その試みは世界的な成功を収めた。バクシ版の『指輪物語』の後篇が封切られず、事実上『指輪物語』の映像化は不可能とみなされていた状況において、ピーター・ジャクソンが成し遂げた仕事の功績は、その壮大なスケールと相俟って、映画史における一つのメルクマールとなりえたのだろう。
 一方、『ベーオウルフ』や『ガウェイン卿と緑の騎士』を研究していたトールキンが、自作を過去の叙事詩との内在的な連関性を抜きにして考えていたとは思えない。だが、ピーター・ジャクソンはそのような方向性を、映像化にあたって、あえて切り捨てざるをえなかったのだろう。まずは『指輪物語』三部作をきちんと映像として再現すること。壮大な物語を未完で終わらせず、きちんと最後まで描ききること。なんとも味気ない言い方になってしまったが、それこそがピーター・ジャクソンの目論見だったのではなかろうか。
 しかし一方で、絵画芸術やオペラ、映画芸術などで表現された精神性が『指輪物語』に大きな影響を与えてきたことは、どれだけ強調してもし足りないだろう。ドイツ・ロマン派の画家カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒは、廃墟や荒涼たる糸杉の情景を好んで描いたが、そこで彼は荒涼たる自然を描出しながら、自然に美を付与する神性を浮き彫りにしようとした。
 ロバート・ローゼンブラムは『近代絵画と北方ロマン主義 フリードリヒからロスコへ』において、フリードリヒから19世紀絵画の「北方ロマン主義」に至る系譜を裏付ける作業を行なっている(*1)。ここからトールキンにつなげるルートを探すのは、おそらくそれほど困難ではない。より率直に、リヒャルト・ヴァーグナーの『ニーベルングの指環』を間に挟めば、彼らのインスピレーションの源としてのドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を共通の祖とし、ドイツ・ロマン派とトールキンをつなげようとすることもできるだろう(*2)。

 ここで『ニーベルンゲンの歌』について、もう少し考えてみよう。『ニーベルンゲンの歌』はフリッツ・ラングの監督で映画化されたが、その際にラングは第一部では英雄ジークフリートが邪竜ファーヴニルを成敗する物語を重視し、第二部では、復讐鬼クリームヒルトと簒奪者ハーゲンとの骨肉相食む争いを描いた家内劇の側面をクローズアップした。ラングはゲルマンの叙事詩を「現代の物語」として伝えるにあたり、民族の深層に深く染み渡ってきた英雄劇と家内劇としての復讐譚の二点に着眼したのは疑いのないところだろう。しかし一方でラングが自分の仕事が全体主義的な精神性へ括られることを拒んで(ナチのプロパガンダとして利用されるのを拒んで)アメリカへ亡命したのは広く知られているし(*1)、『ニーベルンゲンの歌』に題材を採ったヴァーグナーにしても、トーマス・マンの講演『リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』によって、リヒャルト・ヴァーグナーを第二次世界大戦下の大きな暴力、ナチズム、全体主義的な運動体から切り離そうと試みられた。ヴァーグナーが描いた民族精神は、全体主義などに括られる卑小なものではまったくないとマンは主張したのである。
 そしてトーマス・マンがヴァーグナーを擁護しようとした動機と同じ問題意識を、『指輪物語』の翻訳者である瀬田貞二は抱いていたのではないかと筆者は考えている。瀬田はトールキンが自作を隠喩として受け止められることを嫌った事実を大前提としつつも『ホビットの冒険』に登場する赤竜(黄金竜)スマウグによる「たての湖」エスガロスへの襲撃を第二次世界大戦下の爆撃に見立て、あるいは「一つの指輪」を原爆に準える読み方を示唆せざるをえなかった。そうすることで逆説的に、トールキンを俗流ロマン主義的、そして全体主義的に受容される可能性を退けようとしたのだろう。
 実際、『指輪物語』と戦争の可能性を考えるにあたって、おそらく最も語りづらいのが、このヴァーグナーとナチズムの関係にあたる部分だ。トールキンは自作に政治的な含意を認めなかったが、それでも『指輪物語』は往々にして“白豪主義的”だとの非難に逢っている。『指輪物語』に大きな影響を受けたアーシュラ・K・ル=グィンの『ゲド戦記』(意外と知られていないが、この作品は「68年小説」の系譜にも含められる)では、白色人種たるカルガド人がマイノリティとして描かれていた。この点、ル=グィンの創作の背景に根づいている文化人類学的な方法と相俟って、それがトールキンへの批評意識によっている部分も大きいのではないかと思える。
 事実、いかに本人が否定しようとも、軍人としてのキャリアを有したトールキン、『指輪物語』執筆時に紙不足に苦心したトールキンが、自身の体験した戦争の光景を作品へ投影した部分がまったくないと断言することは難しい。なにせ、『指輪物語』は両大戦の戦間期から第二次世界大戦のさなか、延々と書き継がれていた作品なのだから。

 こうした問題を思考するためには、やはりトールキンがいかに考え創作を行なっていたのかということについて、向き合うほかない。彼は自らの創作姿勢を、旧約聖書でヤーヴェが天地を創造したことをふまえ“準創造”と定義した。トールキン直々に薫陶を受けた翻訳家の猪熊葉子によれば、“準創造”によって定義された世界とは、すべてのもののあるべき「真実」の姿を目に見えるものとして提示した世界にほかならないという。ならば『指輪物語』につきまとう“昏さ”とは、作品と読み手の相互干渉性(インタラクティヴィティ)のみならず、それらの「真実」の姿と生の実体とのあわいを描いているからこそ生まれ出ずる、極めて特殊なものなのかもしれない。だが、トールキンが前提としたカトリックの神学を引くまでもなく、あるべき「真実」が文字どおりの「真実」だとするのであれば、当然、作品の依って立つ状況と無縁でいることはできないだろう。この「真実」を作品が成立した時代性の表象として読むことに筆者は抵抗を覚えているが、さりとてトールキンがレイシストかどうかを審議するくらいであれば、『指輪物語』を、戦間期から第二次世界大戦下にかけて成立した――カール・シュミット言うところ――「例外状態」の反映として読む視点を導入した方がよいのではないかと思わざるをえない。

 こう考えると、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の第一部が、本国では2001年に公開されたこと、その年に9・11の同時多発テロが起きたという奇妙な照応にある種の気寒さを覚えてくる。『ロード・オブ・ザ・リング』における“死”の感覚の排除は、『ロード・オブ・ザ・リング』が「例外状態」に正しく向き合えていなかったということを意味してしまうのではなかろうか。

 9・11の同時多発テロを契機として、現代の戦争の様相は変化を遂げた。カール・シュミットいうところの「例外状態」が顕在し、その状況が恒常化し「例外社会」となる直前の時代精神を、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は全身で呼吸していたと見ることも可能だろう(『ロード・オブ・ザ・リング』三部作が、同時並行的に撮影がなされたことはよく知られている)。
 この点を、第二部『二つの塔』内での最大の激戦地である角笛城の戦いに代表される、戦争表現のあり方という観点から考えることも可能だろう。角笛城は――例えば米国ICE社が発売し日本語化もされた『指輪物語ロールプレイング』のサプリメント『ローハンの乗り手』のように――熱心な『指輪物語』の支持者であるゲームデザイナーたちによって詳細な地図が作られ、合戦の経過についても(想像の翼を広げた)研究が進められている。だが、おそらく『ローハンの乗り手』のデザイナーたちが捕捉していたような戦局の全体性をピーター・ジャクソンは考慮していない。端的に言って、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の戦争描写はひどく単純化されたものと受け止めざるをえない。
ローハンの乗り手.png
※『指輪物語ロールプレイング』のサプリメント『ローハンの乗り手』

 続いて、映画版で排除されたエピソード群についても考えてみよう。例えば原作にはトム・ボンバディル、あるいはゴールドベリといった「一つの指輪」の影響から超然とした存在が描かれていたが、彼らは映画版には登場しない。また『王の帰還』の原作のラストで語られる「ホビット庄の掃討」は、おそらく「一つの指輪」を挟んだフロドとゴクリの対立構造を「一つの指輪」なき状況において反復した、いわば(前作『ホビットの冒険』と同じように)「行きて帰りし物語」である『指輪物語』のセルフ・パロディとして機能する極めて重要な挿話だ。しかしこの部分も、映画版においてはまるごとカットされてしまっている。

 今回は以上の二点を取り上げたが、それ以外にも単純化された戦争描写、そして物語における重層性の軽視はまま見られる。これらが映画全体における“昏さ”の排除と、密接な関係性を有していることは言うまでもないだろう。そして『ロード・オブ・ザ・リング』のみならず、トールキンの影響下にある現代のSFやファンタジー全般において、これらの問題は重要性をいや増していると言うことができる。
 ピーター・ジャクソンの功績は確かに大事だ。彼は『指輪物語』を「現代の物語」として再生させたと讃えられた。しかし彼の「読み直し」(リ・リーディング)は『指輪物語』をフラットなものとして捉え直す結果となってしまった。時代的な要因も大きく関わっているだろう。彼がニュージーランドを撮影の舞台に選んだのは、9・11前夜の政治的な状況から作品を切り離すためだったのかもしれないが、結果として彼の試みは「例外社会」における自閉的な精神性の反映としても受け止められるものとなってしまった。すなわち『ロード・オブ・ザ・リング』は「例外状態」から目を背けることにより、「例外社会」をそれ自体として体現してしまったとみなすこともできるのである。とすれば『王の帰還』が日本で封切られてから7年近くが経過し、『ホビットの冒険』の映画化の進行が難航していると伝えられる今、彼が切り捨てたものにいま一度目を向け直す必要があるのではなかろうか。

 周知の通り、日本においても『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は記録的な大成功を収めた。そしてその時期は、日本における「セカイ系」の流行と奇妙な重なり合いを見せている。ひょっとすると、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は、半ば無意識的に、他者性を欠いた「セカイ系」のような受容をなされた部分があるかもしれない。現に単純化された戦争描写と、物語における重層性の排除という観点は「セカイ系」の特徴そのものであるし、二〇〇〇年代前半のSFやファンタジーの多くとも共鳴を見せている。

 筆者は『「世界内戦」とわずかな希望 伊藤計劃・SF・現代文学』(2013年11月刊行予定、アトリエサード/書苑新社)に収められている「「世界内戦」下の英雄(カラクテル)――仁木稔『ミカイールの階梯』」においては、こうした「セカイ系」的な考え方が排除した「中間領域」がいかなる重要性を有しているのかを、トールキンの準創造論、ひいてはL・スプレイグ・ディ=キャンプのヒロイック・ファンタジー定義やピーター・P・パーラが『無血戦争』で記した(戦略論における)シミュレーションという考え方を軸に、9・11以降の戦争状況にできるだけ向き合った形で論じたつもりだ。仁木稔の傑作SF小説『ミカイールの階梯』の作品論という形を取っているが、『ミカイールの階梯』の戦略は、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の問題点を乗り越えるための重要なヒントをも懐胎している。ご興味をお持ちの方は、お読みになっていただければ幸いだ。

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 なお最後になるが、筆者は『王の帰還』のラストシーン、すなわち「滅びの山」に「一つの指輪」を投げ入れた後の場面の描写こそが、『指輪物語』における“昏さ”の最深奥であると考えている。


 そして大将たちが南の方モルドールの地をまじろぎもせず見つめるうちに、雲のとばりになお黒く、巨大な人の影のようなものが上ってきたように思えました。それは一切の光を徹さないほど黒く、頭に稲妻の冠をいだき、空をいっぱいに占めていました。下界を見降ろして高く大きく頭をもたげると、それは途方もなく大きな手をみんなに向かって嚇すように突き出しました。その恐ろしさは総毛立つほどでしたが、それでいてもはや何の力もなかったのです。なぜなら、それが一同の上に身を屈めたちょうどその時、大風がそれをさらって運び去り、消え去ったからです。そのあとはしーんと静まりました。
 (J・R・Rトールキン『指輪物語 王の帰還』(下)、瀬田貞二・田中明子訳、評論社、一九九二年)


 ちなみにこの箇所は『指輪物語』が重要なモチーフとなっている現代文学、ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社)においても引用される。
 同書については「ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(都甲幸治/久保尚美訳、新潮社):SFとRPGと魔術的リアリズムのハイブリッドが生んだ新しい文学!」(http://analoggamestudies.seesaa.net/article/187896045.html)を参照されたい。


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【脚注】

(*1)フリッツ・ラングとナチズムの関係については諸説ある。しかし1931年の『M』や1943年の『死刑執行人もまた死す』が全体主義的な精神性への強烈な批評性を有しているのは「例外状態」との関係からも疑いのないところであろう。
(*2)『近代絵画と北方ロマン主義』で取り上げられた「北方ロマン主義」という考え方については、石岡良治の簡潔なまとめが参考になる(http://www.artgene.net/dictionary/cat56/post_98.html)。
(*3)ここで『指輪物語』日本語版の表紙や挿絵を担当した画家、寺嶋龍一の重要性を外すことはできない。しかし本稿では論旨の明確化のため深入りを避ける。ただ筆者が寺嶋龍一を『指輪物語』の“昏さ”のよき理解者であると認識していることは付言しておきたい(例えば、彼の描いたガンダルフとバルログの対峙を置いてみよう)。なお本稿では素描にとどまったが、レッシング『ラオコオン』に代表される絵画言語と詩的言語の対比を嚆矢として、『指輪物語』は今一度、事物の羅列に留まらず、批評的に読み解かれるべきに違いない。

※本原稿は2011年1月10日に「限界小説研究会BLOG」に掲載されたが、同ブログが更新停止している事情を鑑み、加筆修正のうえ「21世紀、SF評論」に転載した。初出時にご意見をいただいた読者に感謝したい。
posted by 21世紀、SF評論 at 21:39| Comment(1) | TrackBack(1) | SF評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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