2011年04月20日

瀬名秀明「小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団」(小学館)

 更新の間隔が大変間遠になってしまった。申し訳ない。更新を準備していたちょうどそのころに東日本大震災が発生し、どのような形で再スタートを切ればいいのか、私たちは頭を抱えた。本を自由に読むこともままならない被災地にSF評論は何を語ればいいのだろう。
 そんなとき、出会ったのが本書である。基本的に戦いの物語であるが最終的に「共生」をテーマとしたストーリーの深さ。瀬名作品として藤子原作を読み返した時に、まさしくこれこそが再出発にふさわしい一冊ではないかと思い至った。

 では、始めよう。私たちもここから再出発である。

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団 [単行本] / 瀬名 秀明 (著); 藤子・F・不二雄 (...

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団 [単行本] / 瀬名 秀明 (著); 藤子・F・不二雄 (原著); 小学館 (刊)

 ご存知の方も多いだろう。アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説に「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(「伝奇集」収録、岩波文庫)というものがある。「ドン・キ・ホーテ」を愛し、「ドン・キ・ホーテ」について調べ上げた男が、自分なりの「ドン・キ・ホーテ」を書こうとする。だが厳密を期しすべてを調べ上げた結果、書かれたものはセルバンテスの原典と一言一句違わぬものになってしまう。

伝奇集 (岩波文庫) [文庫] / J.L. ボルヘス (著); 鼓 直 (翻訳); 岩波書店...

伝奇集 (岩波文庫) [文庫] / J.L. ボルヘス (著); 鼓 直 (翻訳); 岩波書店 (刊)

 リメイクというものはなかなか難しい。映画史をみればオリジナルを超えたリメイクというのはほぼ皆無だ。「思い出を壊すな」との熱心なファンの批判を受けながらもあえて「シリーズ最高傑作」とも評される「鉄人兵団」のリメイクに挑んだ今回の2011年劇場版スタッフの勇気は評価されていい。幸い映画は好評を博しているようで喜ばしいことだ。
 だがそれ以上に注目すべきは、ロボット学の旗手である瀬名によって新たに語りなおされる今回の小説版だろう。ファンの二次創作なら小説も無数にある。だが版元の依頼によるドラえもんの公式小説化は、小学館によると「世界初の試み」だという。
 瀬名は、ロボット学の知識を生かした小説・ノンフィクションを多数発表してきたが、ドラえもんの大ファンとしても知られる。そのどちらに振れた物語となるのか。フィクション・ノンフィクションを問わず瀬名の作品をずっと追いかけてきた愛読者としては、まずそこが気になった。

大長編ドラえもん (Vol.7) のび太と鉄人兵団 (てんとう虫コミックス) [単行本] / ...

大長編ドラえもん (Vol.7) のび太と鉄人兵団 (てんとう虫コミックス) [単行本] / 藤子・F・不二雄 (著); 小学館 (刊)

 結論から先に言うと、びっくりするほどぴったりと原作に寄り添っている。2011年劇場版よりははるかに藤子原作に忠実だ。ちゃんとミクロスは登場するし(2011年劇場版では登場しない)、ジュドは改造されて味方になる(2011年劇場版では説得される)。いや、それどころか細かいセリフまわしやプロットに至るまでがほとんど藤子原作と同じだ。まるでピエール・メナールなのだが、ぴったり寄り添いつつ細部を膨らます、というメナールの一歩先を行く加工が施されている。なぜそんなことが可能だったのか。今回はその部分を中心にみていくことにしたい。

映画ドラえもん のび太と鉄人兵団【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD] ...

映画ドラえもん のび太と鉄人兵団【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD] / 大山のぶ代, 小原乃梨子, 肝付兼太, たてかべ和也, 野村道子 (出演); 芝山努 (監督)

 瀬名は大阪大学大学院工学研究科(知能・機能創成工学専攻)の杉原知道准教授と「五時間にわたる議論を重ねた」と末尾の献辞で触れているから、ドラえもんやザンダクロス、ジュド、そして鉄人兵団という様々なロボットのあり方について、研究者と緻密な思索を重ねたことは間違いない。

 ロボット工学的な描写はごくわずかしか出てこない。あまり詳しく書くと、子供たちに読めなくなってしまうからだろう。「世代をこえて愛される不朽の名作を瀬名秀明が小説化!」と書かれた帯のコピーをみるに、まずは大人のドラえもんファンに手にとってもらうことを目的とした小説化に思える。だが、「メインの読者層である子供たちにも読めるものにしたい」というのが瀬名のこだわりなのだろう。意外にも小学館からの最初の依頼は完全なジュヴナイルであった。だがインタビュー(※)によると瀬名は「対象年齢を14歳ぐらいにしたい」と申し出たという。必要以上にこびず、一人前に扱う。作中の漢字の多くにはルビが振られ、難しい描写でも疑問を持ってインターネットなどで調べれば何らかの手がかりが得られるよう、細かい配慮がされている。
 本作品の主舞台である鏡面世界を説明したところを抜粋してみる。

「すなわち鏡の平面に垂直なベクトルだけがあべこべになった世界である。慣性質量と重力質量を持つ知性体は、そうした鏡面に向かい合ったとき、奥行きできなく左右が逆向きになった世界と錯覚して周囲を認識する普遍性がある」(90ページ)

 大人にも決してやさしい説明ではないが、不親切ではない。本書の中では例外的な描写だが、こうした間口が広く奥行きの深い記述は、優れた教育者でもある瀬名らしいものといえよう。自分がたどった科学やSFへの階段を上がる第一歩としての「ドラえもん」。それを現代の子供たちにも体験してほしい。まさしく「ドラえもん」を深く理解し愛すればこそ、自分なりの形で語りなおした理想のリメイクといえるのではないだろうか。

 オリジナルの作品を自分なりの形で語りなおす時、「この部分を足した方が矛盾や齟齬が減る」と思えることは確かにある。それを意地の悪いツッコミとして描く人は結構多いが、瀬名のスタイルは随分違う。
 鏡面世界・巨大ロボット・そして鉄人兵団との戦い。まず藤子原作を100%肯定し、そこから原作の味わいを殺さないように慎重に世界を膨らませる要素を付け加えていく。それは科学的解説であったり、新たなキャラクターであったり、のび太やドラえもんの内面描写であったりする。結果としてのび太は瀬名に似ていき、思考の緻密な秀才になってしまったが、それはそれで興味深い。それもまた愛の形である。

 実はそうした作業は今回の2011年劇場版にもうかがえる。こちらはかなり大胆にストーリーを変更しておりそのことが許せないファンもいるようだが、無神経な破壊行為ではなく、オリジナルへの敬意を払った上でのアレンジだ。「これもまた面白い」とする意見に賛成したい。実は正反対のようでいて、ふたつの作品は同じ哲学に基づく異なるバリエーションだ。ピッポの登場は「共生」というテーマを深めるために大変役立っているからだ。瀬名がプロットを肉付けすることで果たした作業を2011年劇場版はピッポに託しているのだろう。ピッポに小林由美子、リルルには沢城みゆきというアニメファンにはおなじみのベテラン声優に託したのも絶妙のキャスティングであったといえる。彼女たちの力量あってこそ、2011年劇場版はここまでたどり着くことができた。

 つまりリメイクとは、原典への敬意なくして成り立たないのではないだろうか。よくあるハリウッドリメイクでは、現代風にアレンジして監督の新しい個性を盛り込んで…と野心ばかりが先立つ結果、作品を壊してしまう。
 ピエール・メナールの話に戻ろう。この話を最初に読んだ時、行き過ぎたマニアの愚かさを描いているのだと思った。何しろ散々努力した挙句結果としてメナールがしているのは、「ドン・キ・ホーテ」の丸写しなのだから。だがそうではない。ボルヘスが言わんとしたのは、いかに「ドン・キ・ホーテ」が完璧なのかということなのだ。真に偉大な作品は、深く知れば知るほど、気軽に変更することができなくなる。安易なリメイクは戒められるべきだ。私たちはもっとピエール・メナールのようにあるべきなのだ。

 だが、メナールの陥った迷路は悲劇である。「本当にその作品が好きだ」という思いから新たな何かを生み出すのは不可能なのか?必ずしもそうともいえない。作品を理解し膨らませていくためには独自の作法がある。今回瀬名と2011年劇場版のスタッフが取ったのは、そうしたやり方だ。

 実は今回の2011年劇場版でとても気に入っているシーンがある。鉄人兵団の尖兵として地球にやってきたロボットのジュドはボーリングの球のような形をしている。ピーピーと雑音をあげて何か言いたそうだ。そこでドラえもんがジュドの上にほんやくコンニャクを乗せてみた。だがやっと分かった言葉は「地球人なんかみんな奴隷にしてやる」という憎まれ口。ジュドは興奮してピョンピョンはねるのでコンニャクを乗せても乗せてもすぐ落ちてしまう。コンニャクを乗せる→憎まれ口→落ちる→言葉が意味不明になる→コンニャクを乗せる→憎まれ口→落ちる…と延々その繰り返し。だんだんのび太たちはイライラしてくる。
 ごく軽いギャグシーンだが、原作やオリジナルの86年劇場版にはない。ごく単純にひもでコンニャクをくくりつけてしまうのだが、そもそも球体の上にコンニャクを乗せるのは難しい。そういう細かいところに着目して新たな表現に結びつけるところに好感が持てる。球の上にコンニャクを乗せる困難さは、原典のメインプロットとは何の関係もない。藤子も86年版の芝山努監督もそんなことが重要だとは思いもしなかっただろう。だがそのことひとつで、原典は壊れずに新たな輝きを得る。
 瀬名の小説版はどうだろう。こちらもまた思いもかけないところでアレンジが加えられている。新しいキャラクターが加えられているのだが、これがなかなかうれしい。藤子ワールドを愛する人ならば思わずうなるあのキャラクター。それでいてストーリーに大きな変更は加えず、ストーリーを外側から膨らませる重要な役割を果たす。なるほどこんな役目はあのキャラクターにしかできない。
 原典にぴったり寄り添った時に初めて見えてくる世界がある。ピエール・メナールも、この光景を見ていたのだろうか。だがメナールはその一歩先に進む勇気を持てなかった。寄り添いつつ一歩先に進むこと。それは決して不可能ではない。(高槻 真樹)

※ ドラえもん公式サイト「瀬名秀明さんスペシャルインタビュー」(http://dora-world.com/dm11special/index2.html
posted by 21世紀、SF評論 at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | SF評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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