2012年11月26日

『K-20 怪人二十面相・伝』(佐藤嗣麻子)

《スーベニアブック版「東京SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞チーム有志は、去る2010年8月7日〜8日に開催された東京での第49回日本SF大会(tokon10)を応援するために、大会参加者に限定配布された「TOKON10スーベニアブック」へ「東京大全」(東京に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、TOKON10実行委員会公式ブログ(http://blog.tokon10.net/)および「SFマガジン」2010年9月号で連載されたものと重複するものもありますが、ブログや雑誌記事との差別化が意識されている原稿になっています。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

佐藤嗣麻子
『K-20 怪人二十面相・伝』
(2008 ROBOT、東宝)
評者:海老原豊
K-20 怪人二十面相・伝 通常版 [DVD] / 金城 武, 松 たか子, 仲村トオル, 國村隼, 高島礼子 (出演); 佐藤嗣麻子 (監督)
 「トウキョウ、大サーカス!」
 江戸川乱歩を生みの親にもつ「兄弟」、明智小五郎と怪人二十面相は、永遠のトムとジェリー。捕まりそうで捕まらない絶妙な距離を保ちながら、二人は激動の時代すらもすり抜けていく。――のだが、佐藤嗣麻子の手によって脚色された北村想『怪人二十面相・伝』においてはどうやら少し様子が違う。だいたい、そこは日本であって日本でなく、東京であって東京ではない。第二次世界大戦なき日本。華族という身分が制度として残り、貧しいものから搾取する社会。そんな上層階級を標的に、魔法のような手口で次々と盗みを成功させる怪人二十面相を、なんとしても捕らえんと執念を燃やす探偵・明智小五郎。
 そこに現れる一人の男。サーカスでアクロバティックな芸を披露する曲芸師である彼は、颯爽と登場したかと思えば、怪人の罠に見事なまでにはめられ、「怪人二十面相」として逮捕されてしまう。男の名は遠藤平吉。サーカス団のカラクリ担当・源治とその仲間の泥棒たちに助けられなんとか脱獄に成功するも、太陽の下を二度と歩くことができなくなった平吉は、平穏無事な自分の生活を取り戻すため、泥棒稼業に仲間入りする。怪人と探偵、そしてサーカス男が織り成す不思議な三角形は〜それ自体が一個の生き物のように胎動しながら物語を駆動させる。
 ひたすらに見せる映画。サーカスのスペクタクルを、平吉のアクロバットを、東京の空を、川を、海を。某アメリカン・コミックスで有名な犯罪都市を連想させるような工場の煤煙ですすけた空に、天まで伸びる勢いの羽柴ビル。そのビル内で行われる明智と羽柴葉子の結納の儀を、建物のガラス天井にへばりついて盗み撮る遠藤平吉。《見られる男》が《見る男》に反転するとき、その眼差しの先にあるものは果たして何なのか。
 良家の子女が体現するのはありえたかもしれない東京の、ありえるだろう未来の姿だ。見せる映画は、見えないものもためらうことなく見せる。解散したサーカス団の子どもが移り住んだ野上という貧民窟。「見て見ぬふりをするのは十分、大きな罪です。この子たちを助けましょう」と声高らかに宣言する葉子は、見えていないことがはらむ政治性にそもそも無頓着だった。だが葉子が《見てはいけないもの》を見れたのは、《見られる男》であり《見る男》である平吉と時間を共有したからだ。つまり平吉には見える/見えないの政治性を、軽く――はないのだが、実際には――飛び越える力が宿っている。
 さて物語から一歩退き、私たちがこの「ありえたかもしれない東京」をじっと見つめる時、そこに潜んでいる見えないものを考えてみる必要がある。戦争で焼けた史的現実としての東京が、見えないものとして、フロイトの抑圧されたものよろしく、フィルムに取り憑いているが、それはそのまま虚構的存在の怪人の素顔へと横滑りする。変装名人の怪人の素顔を私たちは決して知ることはない。仮面を脱がしても核へとたどり着かない怪人の素顔は、フィルムの背後にある史的現実そのものなのだ。もちろん映画のクライマックスでは怪人の素顔が明かされるわけだが、しかし私は怪人の素顔を受け入れることを拒否したい。だいたい物語では、怪人の素顔の交換可能性がナラティヴの心臓部に存している。そして改めて確認すれば、現実にかぶせられた薄皮一枚、怪人が被る仮面程度の厚さしかないこの皮膜に、突き破れそうでいて突き破ることのできないギリギリの強度を与えているのが、巨大な科学をイメージ化したテスラ装置であり、つまりはSF的意匠なのだ。歴史改変ものであること以外にこの作品がSF性を帯びる根拠は、ここにある。
 平吉とともに「さあ、大サーカスの始まりだ」と東京へダイブしようではないか。
posted by 21世紀、SF評論 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京SF大全(スーベニアブック版再掲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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