2013年11月25日

『帝都物語』(岡和田晃)

《スーベニアブック版「東京SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2010年8月7日〜8日に開催された東京での第49回日本SF大会(tokon10)を応援するために、大会参加者に限定配布された「TOKON10スーベニアブック」へ「東京大全」(東京に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、TOKON10実行委員会公式ブログ(http://blog.tokon10.net/)および「SFマガジン」2010年9月号で連載されたものと重複するものもありますが、ブログや雑誌記事との差別化が意識されている原稿になっています。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

荒俣宏
『帝都物語』
(角川書店、1985年〜、現在は新装版が角川文庫(全六巻、1995)にて入手可能、第8回日本SF大賞受賞作)
評者:岡和田晃
帝都物語〈第壱番〉 (角川文庫) [文庫] / 荒俣 宏 (著); 角川書店 (刊) 2010年、記念すべき「東京」でのSF大会を迎えるにあたり、はたしてこの奇書『帝都物語』は、いかにして読み直し(リ・リーディング)をなされるべきだろうか。
 帝都の霊的改造計画、関東大震災、二・二六事件といった近代の各種動乱を具(つぶさ)に描き出し、やがては2004年の終結に至るこの壮大なサーガは、優れた物語が皆そうであるように、しばし破綻の徴候を見せつつ、時にマニエリスム絵画のように妖しい煌めきを放ちながら、500万を越える読者を引きつけてきた。完結後もなお、サーガは江戸(『帝都幻談』、明治維新(『新・帝都物語』)と語り直され、その勢いは衰えを見せない。
 しかしながら、日本の近代化のダイナミズムを、近代の立役者それぞれに仮託し、一種の英雄(ヒーロー)に見立てて進む『帝都物語』は、往々にして、フォーミュラ・フィクションと見なされてきた。すなわち、尽きることなき魅力を有した蛮人の冒険を躍動的な文体で描いた『征服王コナン』(ロバート・E・ハワード)や、RPGの代表作『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の世界を舞台にした『ホワイトプルームマウンテン』(ポール・キッド)の翻訳に代表されるヒロイック・ファンタジー紹介の第一人者によってあつらえられた、定型としての物語の集積だと見なされてきたのだ。
 あるいは、知に伴う「矛盾」への対峙を主軸とした『アントライオン』、宗教図像学と生命科学の謎に歴史性を絡ませ解析する『レックス・ムンディ』といった小説群の文脈をふまえ、隠秘学や博物学の大家ならではの、絢爛豪華なバロック性や蠱惑的な衒学性は、『帝都物語』の特徴として、しばしば語り草となってきた。
 だが、ここで、ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの共作である『ディファレンス・エンジン』を置いてみよう。「サイバーパンク」の旗手と書記長は、活動に意味性を付与する初期の仕事を終えた後、サイバースペースや現代政治の状況から一転し、蒸気オルガンや差分機関からなるもう一つの近代史へ遡行した。サイバースペースの彼方を知るためには、いまいちど過去へ向き合わねばならない。カール・マルクスがアメリカでコミューンを立ち上げた未来、福沢諭吉が蒸気エンジンを輸入しようとした未来を夢想せずして、テクノロジカル・ランドスケープの明日を描くことはできない、というわけだ。荒俣とサイバーパンクは、意外な取り合わせに見えるかもしれないが、『帝都物語』の歴史観には、驚くほど『ディファレンス・エンジン』に近い部分がある。
 『帝都物語』を開いて奇門遁甲(きもんとんこう)や神字(かむな)を見るとき、私たちはそこに、知らず、言語学からエントロピーまでを射程に入れた『理科系の文学誌』の著者の残響を聞き取ることができる。
 とすれば、『帝都物語』が描きださなかった、もう一つの「帝都」がぼんやりと見えてくるとは思えまいか。『帝都物語』に記された“以降”の時代を生きる私たちは、思わぬところで『帝都物語』に流れていた固有の血潮、いや、遺伝子を(再)「発見」することができるのではないか。荒俣はしきりに『帝都物語』と阪神・淡路大震災の奇妙な照応へ言及したが、それはあくまで一例にすぎない。『帝都物語』の作者が、『妖精族のむすめ』(ロード・ダンセイニ)を翻訳し、工業化の波に覆われゆく近代の最中の、ほのかな幻想を提示する繊細さがあったことを忘れてはならないだろう。
 その公告屋は、遠い丘の上に立つ大聖堂の高楼を見つけたとき、その風景をつくづく眺めて泣いた。「ああ」と彼はいった。「これがもしも『とってもおいしくて栄養満点、 あなたのスープにもぜひお試しください。ご婦人も大歓びなさるビーフオの牛肉』の宣伝に使えたらな……」ロード・ダンセイニ「五十一話集」(『妖精族のむすめ』所収、荒俣宏訳)

 若き日の荒俣宏は「苦悶と愉悦の幻想軌跡」なるダンセイニ論において、このアイルランドの貴族作家の探究(クエスト)ロマンスを〈時との死闘〉と呼んでいるが、これほど『帝都物語』の全体を貫く主題として似つかわしいものはない。荒俣がダンセイニの読み直(リ・リーディング)を試みたように、〈時との死闘〉がもたらしうるものが、何であるのかを私たちが把捉しえた時、ヒロイック・ファンタジーは、RPGは、隠秘学は、博物学は、そして文学(SF)は、新たな「場所」で再起動する。『幻想と怪奇の時代』(紀田順一郎)の再来だ。
posted by 21世紀、SF評論 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京SF大全(スーベニアブック版再掲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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