2013年08月28日

「初音ミク」(高槻真樹)

《プログラムブック版「北海道SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2012年7月7日〜8日に開催された夕張での第51回日本SF大会(Varicon2012)を応援するために、大会参加者に限定配布された「Varicon2012プログラムブック」へ600字程度の「北海道大全」(北海道に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、Varicon2012の公式サイト(http://www.varicon2012.jp/index.html)で連載されたものと重複しますが、単なる縮約にはとどまりません。より広い読者へ向け、SFの意義を提示する開かれた文章を目指しました。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

【ヴォーカロイド】
「初音ミク」
作者:クリプトン・フューチャー・メディア
初出:2007 年〜
最新版:随時更新中
担当:高槻真樹




 今年(編注:2012年)2月7日、「さっぽろ雪まつり」の会場で初音ミクの雪像が倒壊し、女性一人が負傷、しかし直後に再建されたというニュースは大きく報じられた。実はミクを販売しているクリプトン・フューチャー・メディア株式会社は札幌に本社を置き、ミクは北海道を代表する存在として期待を集めつつある。
 SFの世界では何度もバーチャルアイドルを主人公にした作品が描かれている。だが実際に市場に投入されたバーチャルアイドルは多くが忘れ去られており、フィクションが予想したような巨大資本による上からの押し付けでは定着しないことがわかってきた。
 初音ミクの存在が興味深いのは、ほぼ草の根に近い形でネットから立ち上がってきたことにあるだろう。製作元のクリプトン・フューチャー・メディア株式会社は、ソフトウェアとしての「初音ミク」にほとんど設定を付け加えなかった。だがそのことが多くのユーザーの想像力を刺激し、クリプトンの想像を上回る形で次々とユニークな設定が付け加えられていった。
 「道産子ミクさん」というのもそうした派生設定のひとつで、クリプトンが北海道に本社を持つことから連想して、北海道を称揚するキャンペーンガールとしてミクが使われた。ソーラン節を歌わせたり、なぜか釧路湖陵高校の校歌を歌わせたり。常にその活用方法は予想の斜め上である。そしてまだ、世界は拡がり続けている。いま、この瞬間も。

2013年07月30日

『吉田一穂詩集』(石和義之)

《プログラムブック版「北海道SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2012年7月7日〜8日に開催された夕張での第51回日本SF大会(Varicon2012)を応援するために、大会参加者に限定配布された「Varicon2012プログラムブック」へ600字程度の「北海道大全」(北海道に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、Varicon2012の公式サイト(http://www.varicon2012.jp/index.html)で連載されたものと重複しますが、単なる縮約にはとどまりません。より広い読者へ向け、SFの意義を提示する開かれた文章を目指しました。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

『吉田一穂詩集』
作者:吉田一穂
初出:岩波文庫 2004 ※加藤郁乎編
最新版:(初出に同じ)
担当:石和義之
吉田一穂詩集 (岩波文庫) [文庫] / 吉田 一穂 (著); 加藤 郁乎 (編集); 岩波書店 (刊)
 21 世紀の平成日本において、吉田一穂の詩を読んでいると、何か途方もない時間錯誤の世界に足を踏み入れたようで、その方向性の喪失感覚は、なかなか愉快なものだ。「虚落の底に、渦まく衝隙の泡の誕生」(「海鳥」)のような表現スタイルは、端から空気を読もうとしない愚鈍の確信に由来する。かつてある批評家は、愚鈍は凡庸の反意語だと定義したが、凡庸とは空気を敏く読めてしまう貧しい賢さのことだ。「芸術」を確信する吉田の言葉は、今という時代と行き違うことによって、今の時代の性格を逆照射してもいる。「信を失すれば人間の立像は崩れてしまふ」(「あらのゝゆめ」)と吉田は語る。けれども人間の立像が崩れてしまっていることが常態化しているのが現代というものだろう。人はもはや「信」を希もうとはせず、空気だけを察知しようとする。
 超越性への感覚が顧みられなくなったどころか、そのような実存の問題にこだわったとたん「負け組」に転落してしまうような世界に私たちは住んでいる。既存の体系の外で目覚めたらアウトなのだ。芸術の終焉が実存の終焉でもあった。汎地球的なこのような文化現象は、日本の文化シーンにおいては70 年代後半以降、はっきりと認識されるようになった。コピー、大衆状況、構造主義などのキーワードが思い浮かぶが、芸術や実存を現代において真に生かしめるには、そこから目を背けることは許されない。ポエムな世界に撤退するわけにはいかない。

2013年06月21日

『太陽の王子 ホルスの大冒険』(宮野由梨香)

《プログラムブック版「北海道SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2012年7月7日〜8日に開催された夕張での第51回日本SF大会(Varicon2012)を応援するために、大会参加者に限定配布された「Varicon2012プログラムブック」へ600字程度の「北海道大全」(北海道に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、Varicon2012の公式サイト(http://www.varicon2012.jp/index.html)で連載されたものと重複しますが、単なる縮約にはとどまりません。より広い読者へ向け、SFの意義を提示する開かれた文章を目指しました。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

『太陽の王子 ホルスの大冒険』
監督:高畑勲
初出:東映 1968
最新版:TOEI VIDEO 2002 ※ DVD 版
担当:宮野由梨香
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 「かつてアイヌの人々が北海道の大自然の中で――真夏の太陽と厳寒の吹雪の中で――魚をつき、けものを追って山野をかけめぐった、その満ちあふれる生命力を私たちは今の日本のおとなや子どもたちに伝えたいと思うのです。」(人形劇「チキサニの太陽」のチラシより)
 原作の人形劇の主人公オキクルミをエジプトの太陽神ホルスに、悪魔の妹の名をアイヌ語で春楡を表すチキサニからヒルダに置き換えても、この作品が「北海道SF」であるという本質は変わらない。
 アイヌ風衣装や、溯上してくる鮭を人々が歓声をもって迎える場面などに着目して言うのではない。この作品には「日本近代」と「戦後」の問題の濃厚な反映がある。「ぼくはかなりヒルダにほれていましたよ」(註1)と語る原作者、深沢一夫にとって、その舞台はどうしても「北海道」でなくてはならなかった。しかし、「アイヌは使っちゃいけないっていうお達し」(註2)のため、アニメ化にあたって舞台を移した。そのこと自体が、むしろまさに「北海道SF」たる所以なのだと言えよう。82分間の中に思弁的で濃厚なドラマが詰まっていて、日本動画史におけるメルクマールとされている。
 音楽は間宮芳生、高畑勲の初監督(名目は演出)作品にして、宮崎駿が場面設計を担当、森康二らが原画を描き、作画監督は大塚康生、「ヒルダは私のものだ!」と叫んだ熱心なファンが和田慎二。
 その問題提起の深さは、今もって色褪せていない。

※(註1)徳間書店「ロマンアルバム・エクセレント60」、P.186。
 (註2)前掲書、P.189。
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