2013年08月10日

『岬一郎の抵抗』(石和義之)


《スーベニアブック版「東京SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2010年8月7日〜8日に開催された東京での第49回日本SF大会(tokon10)を応援するために、大会参加者に限定配布された「TOKON10スーベニアブック」へ「東京大全」(東京に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、TOKON10実行委員会公式ブログ(http://blog.tokon10.net/)および「SFマガジン」2010年9月号で連載されたものと重複するものもありますが、ブログや雑誌記事との差別化が意識されている原稿になっています。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

半村良
『岬一郎の抵抗』
(毎日新聞社、1988年、のちに集英社文庫、講談社文庫、第9回日本SF大賞受賞作)
評者:石和義之
岬一郎の抵抗〈上〉 [単行本] / 半村 良 (著); 毎日新聞社 (刊)
 テクノロジーというものが、世界をおのが意のままに動かしたいという欲望を、その根本の動機に内包しているとするなら、SF小説もまた、テクノロジーと同様、世界をおのが夢の色で染め上げたいという、甘美かつ危険な誘惑に絶えず身を曝している、と言えよう。20世紀のスターリニズムは、党の夢を世界において実現しようと、果敢、かつ、過酷な意志で挑戦した。その意志がもたらした悪夢のような状況は、ジョージ・オーウェルに『1984年』のような作品を書かせた。ディストピアSFは、今もなお、SFおよびSF以外の作家が好んで取り上げるジャンルである。それは、SFが内包する善意に根差した暴力の危険性への、貴重な批評である。
 権力を握った者は、どこかで必ず冷静になる時間を確保し、反権力の契機を擁護せねばならぬ、と第71 〜 73代内閣総理大臣を務めた中曽根康弘は、人知れず密かに自戒していたという。これは、為政者の最低限の倫理である。だが、それにもまして中曽根という人物が興味深いのは、治者と被治者のリズムの同調といった現象をわが身に引き寄せてしまったところにある。かつて雑誌『広告批評』は、中曽根の自信に満ちた笑顔と長嶋茂雄と加山雄三の顔写真を並べて、三者の酷似ぶりを鋭く指摘し、中曽根康弘が時代の顔を担っている、と断言したことがあった(この指摘は『広告批評』最大のヒットである)。確かに、中曽根が首相の地位に在位した1982年から1987年にかけての時期、時代は中曽根的な欲望に共鳴していた。それを証する最大のモニュメントが1986年の衆参ダブル選挙における自民党の圧勝であろう。
 「ロン」ことロナルド・レーガンに身をすり寄せるヤス(=中曽根康弘)の姿に呼応するかのように、「東京」が国際都市として世界の舞台に浮上してきたこの時代、図らずも、中曽根は、SF作家の相貌を身に纏い、変貌しつつあった東京を中曽根カラーに染め上げたのだった。日本電電公社や国鉄の民営化に見られるが如く、市場原理を革命的道具に利用することで、彼は大衆の物質的欲望を操作することに成功し、古臭い理念と鈍臭くも戯れる社会党を壊滅に追い込んだ(都市の消費者の感性に追いつこうと慌てる社会党に、「社会党は愚鈍に徹しろ。中曽根(東京)の真似はするな」と、浅田彰が警告を発したのもこの頃である)。
 「正史」を王道SF作家として自信たっぷりに描いていた中曽根に、真っ向から対立したのが、「偽史」を妄想するジャンル「伝奇小説」の担い手半村良であった。彼の選んだ伝奇小説は、「正史」からのディタッチメントを試みようとする。中曽根総理の時代に書かれた半村の『岬一郎の抵抗』は、中曽根色に染まりつつあった「新東京」への抵抗を試みる作品である。プラザ合意後の中曽根の経済政策と連動しながら、東京の風景はこの頃、大きく変容した。東京のみならず、日本全体がバブルの空気に包まれ、東京とは異質の原理を貫く他者が消滅し、すべてが東京化しようとする状況の中で、半村は、ぶっきらぼうにバブル日本(SF化した東京)の他者を指し示す。それは「福井県」だ、と。つかこうへいが屈折を強いられながら、「熱海」への愛を語った(『熱海殺人事件』)のとは違って、なんの韜晦も弄することなく、80年代において福井を擁護したこと
は、今振り返っても、やはり剛毅だと言える。それは現実を見つめる半村の剛毅さでもある。こうした剛毅さをSFは、いつでも必要としている。
posted by 21世紀、SF評論 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京SF大全(スーベニアブック版再掲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月05日

ブルース・スターリング「招き猫」「江戸の花」(高槻真樹)

《スーベニアブック版「東京SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2010年8月7日〜8日に開催された東京での第49回日本SF大会(tokon10)を応援するために、大会参加者に限定配布された「TOKON10スーベニアブック」へ「東京大全」(東京に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、TOKON10実行委員会公式ブログ(http://blog.tokon10.net/)および「SFマガジン」2010年9月号で連載されたものと重複するものもありますが、ブログや雑誌記事との差別化が意識されている原稿になっています。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)


ブルース・スターリング
「招き猫」
(「SFマガジン」1986年10月号 小川隆訳) 「招き猫」
「江戸の花」
(「SFマガジン」1997年1月号、『タクラマカン』所収 小川隆訳)
評者:高槻真樹
江戸の花.png
招き猫.png
 商店街でよく見かける招き猫は、われわれにはただの「商売繁盛」のアイコンである。しかし欧米の文化圏から見れば、不思議で神秘的な存在に見えるのかもしれない。
 ブルース・スターリングの短編「招き猫」では、招き猫が極めて重要な役割を果たす。舞台は近未来と思われる東京だが、欧米人が陥りやすいフジヤマ・ゲイシャ+ハイテクの歪んだ日本が強調された形で描かれている。そのことに引っかかる読者も多いようだ。
 だが知日派のスターリングが本気でこんな日本を信じているはずがない。歪んだ日本像をあえて利用することで、風刺的・戯画的な空間を狙っているようにも思える。
 ドタバタなガジェットに惑わされず冷静にストーリーを追っていくと、携帯端末で他人を騙して操ったり別人になりすましたりと、現在ありふれたものになっているネット犯罪を正確に予見していることに驚かされる。忘れてはいけない。本作品が書かれたのはネットがパソコンの主役になる少し前のことなのだから。
 スターリングは本質的にジャーナリストであり、情報を正確に集め分析する能力には驚かされる。あまりに思考が早すぎて同時代的にはぴんとこない難点はあるかもしれないが、後の時代から検証してみると、その思索の深さに驚かされる。
 発表当時は、『SFマガジン』への欧米作家の書き下ろしという表面的な話題ばかりが先行した「江戸の花」も、正確な明治日本の描写に圧倒される。江戸の花、とは火事のこと。スターリングは火災をリセット行為として描く。江戸期の何度かの大火による再建も同様だが、そこに異文明の流入が同調したために、景観が一新され「東京」が生まれた。タイトルは必然であり、極めて巧妙だ。
 そのにわか作りの東京で二人の男が対峙する。西洋合理主義の代弁者として登場するのは近代落語の父・三遊亭円朝。他方、江戸的土俗性の側にある人間として描かれるのは血みどろの残酷絵で知られる鬼才浮世絵画家・月岡芳年。
 円朝は「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」など優れた怪談の作り手だったが、妖異を信じず、常に主人公の恐怖から生じる幻影とも解釈できるような二重構造を設けた。日本流モダンホラーの始祖と言えるかもしれない。そんな円朝が残酷怪異の画家芳年の前にシルクハットの洋装で現れる。かなり調べたが、円朝が洋装であったという記録はどこにもなかった。明治初期はまだまだ和装が主流のはず。つまりスターリングは承知の上で、象徴的な演出として円朝に洋装をさせたのだろう。
 スターリングは文明開化を一種の「ファーストコンタクト」として描いている。そこには異文明同士の接触による逆行不可能な認識の変革がある。表面的には一方が他方を打ち負かして併呑したかのように見えても、実際は他方も姿を変え、水面下に沈潜し生き続ける。本作品に登場する電気の魔物もそうした変化のひとつである。
 川崎市市民ミュージアムの湯本豪一学芸員による労作『明治妖怪新聞』(柏書房)には、西洋化の波の中にあってもしたたかに生き延びていった妖怪たちの姿が記録されている。大新聞・小新聞を問わず、明治期の新聞を紐解いてみると、大量の妖怪出現を報じる記事が発見される。江戸時代には身内の噂話でしかなかった妖怪譚は、活字というメディアの力を得てむしろ勢力を拡大していたのだ。湯本は言う。「『近代』と『妖怪』は一見、相反するように見られがちだが、実は近代という時代のほうが妖怪が住み易い環境だったと考えられる」(湯本豪一「明治の新聞にみる妖怪」/『有鄰』416号/2002年7月10日)
 この物語の結末部で、魔物は自信たっぷりに語る。
「うけいれるさ! そうしなきゃならんのだぞ!」
 そう、まったくそのとおりだ。私たちは今も異形の魔物と共に暮らしている。
posted by 21世紀、SF評論 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京SF大全(スーベニアブック版再掲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

イアン・ワトスン「銀座の恋の物語」『ヨナ・キット』(礒部剛喜)

《スーベニアブック版「東京SF大全」再掲にあたって》
 日本SF評論賞受賞者有志は、去る2010年8月7日〜8日に開催された東京での第49回日本SF大会(tokon10)を応援するために、大会参加者に限定配布された「TOKON10スーベニアブック」へ「東京大全」(東京に関したSF作品のレビュー)を寄稿しました。
 それぞれの原稿が扱った題材は、TOKON10実行委員会公式ブログ(http://blog.tokon10.net/)および「SFマガジン」2010年9月号で連載されたものと重複するものもありますが、ブログや雑誌記事との差別化が意識されている原稿になっています。このたび、その意義をご理解いただいた関係各位の許可を得て、「21世紀、SF評論」において、連載という形で再掲していきます。ご笑覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

イアン・ワトスン
「銀座の恋の物語」
(1974年、ハヤカワSF文庫『スロー・バード』所収 大森望訳)
『ヨナ・キット』
(1975年、サンリオSF文庫 飯田隆昭訳)
評者:礒部剛喜
スロー・バード (ハヤカワ文庫SF) [文庫] / イアン ワトスン (著); Ian Watson (原著); 大森 望 (翻訳); 早川書房 (刊)
 「銀座の恋の物語」は、見事なまでの神話的短編だ。東京テーマのSFで、これほど神話性の強い短編は他にはあるまい。
 「むかしむかし、時は西暦二千年…」というくだりで始まるこの短編は、擬似科学のジャーゴン(占星コンピュータ、ネオンまたたく自動ドアつきタクシー)満載の近未来の東京銀座が舞台。堅実でかつ上昇志向の強いサラリーンであるケンゾーは、ホステス上がりの美貌の妻ケイが、自分にそぐわない女であることに気づき離婚する。水商売の世界に復帰したケイは、暗示性魔法・和合機械によって別の人格を得るが……。
 不条理を伴いながらも愛への回帰を謳ったこの短編は、「むかしむかし、時は西暦二千年…」というフレーズが実に八回も繰り返される神話的な円環構造で、物語のテーマは一目瞭然、〈と再生〉である。ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』そして筒井康隆の『ダンシング・ヴァニティ』と同じテーマの追求だ。
 小説の構造に神話的宇宙像が再構築されている点でより際立っているのが長編『ヨナ・キット』である。海洋の軍事的覇権を握るために進められた、鯨の脳に人間の意識を転写する研究の過程で、宇宙飛行士の意識を複写された少年リーニンはソヴィエトを脱出し、日本を経由してアメリカに亡命しようとする……。
 鯨に呑み込まれた旧約聖書の人物の名を与えられた少年の数奇な物語は「銀座の恋の物語」とは違った視点から、神話へのアプローチを試みている。神話学者ジョゼフ・キャンベルはヨナの物語をして、未知なるものに呑みこまれ、表面的には死したように見えながら再生の道を歩む英雄の体験を象徴している、と述べている。リーニン少年が鉄のカーテンという魔の境界を抜けて再生への道を辿る最初の舞台をワトスンが東京に置いたことは、キャンベルの言葉とは無関係ではない。東京は生まれ変わることを目的として、英雄となるものが巡らなければならない未知の内部世界―鯨の腹という胎内なのである。
 これは「銀座の恋の物語」と同じく、ワトスンにカルチャー・ショックを与えた東京での生活体験に基づくものかもしれない。ワトスンの見た東京は「テクノロジーの爆弾が市民の日常にくまなく浸透している」とともに「大気汚染という遅効性の毒がもたらす完全な死と同居している」二十一世紀的環境だったからだ。
 SFは「アイデアの神話」であり、「重大かつ真摯な集合神話機能を有する」と主張するワトスンは、その長編のテーマに人間の意識的変革というモチーフを多く用いているが、その原体験は東京でのカルチャー・ショックにあると見なすことは誤りではあるまい。
 奇想天外な着想が異彩を放つ作家と見られているが、ワトスンの作品はいずれも強い神話性を帯びているのが特徴だ。本書『ヨナ・キット』しかり、『マーシャン・インカ』しかり、未訳だが、大胆にもUFO現象反地球外起源仮説をテーマにした『奇蹟の訪問者(Miracle Visitors)』しかりである。彼のヴィジョンにあっては、東京は神話的都市と化すのだ。あっぱれ、イアン・ワトスン!
posted by 21世紀、SF評論 at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京SF大全(スーベニアブック版再掲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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