2013年10月24日

映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作が切り捨てたもの――『指輪物語』における“昏さ”の意義について(岡和田晃)


 私事で恐縮だが、1993年、小学6年生の時にひと月以上かけて四苦八苦しつつ『旅の仲間』の上巻を読み終えた時の感覚を、筆者はよく憶えている。そこからひたすらJ・R・R・トールキンの創り出した世界に魅せられ、その熱情はいまでも醒めずに持続している。率直に言って、筆者はトールキンに波長が合った。冗長であるとまま評されるホビット庄の歴史(パイプ草!)も素直に楽しめたし、作品の中心となっている「一つの指輪」がもたらす叙事詩的な苦悩についてもごく素朴に受け入れることができたのだ。

 荘重に読み上げられるエルフ語の響き。『マビノギオン』などケルト的な黄昏とも共鳴する孤独の情景。癒されることのない傷。哀切な死。かようにトールキンは彼岸への憧憬を隠さない。
 現に『指輪物語』の終幕部において、あるいは『指輪物語』の「追補編」の年表的な記述の一部として語られるエピソード内において、「一つの指輪」に関わった者たちはみな、遥かな西方へと旅立ったことが語られる。
指輪物語 1|J.R.R.トールキン/瀬田貞二/田中明子|評論社|送料無料
 彼らは去ったが、去り行くまでの過程については、ページを繰ればいつでも蘇る。「一つの指輪」をめぐる「大いなる年」の模様は「読み直し」(リ・リーディング)を経ることによって新たな意味を付与され、読み手の中で深められる。その過程には、ある種の“昏さ”がつきまとっている。その“昏さ”とは、いわば「ケルトの黄昏」(W・B・イェイツ)と、読み手の「内宇宙(インナー・スペース)」(J・G・バラード)を擦り合わせる行為によって生み出されたものだと言い換えることができるかもしれない。

 ――ひょっとして『指輪物語』が重要なのは、この“昏さ”ゆえではないか。
 それを真の意味で確認したのは大学生になり、ピーター・ジャクソンが監督した『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を劇場で見てからのことだった(2002年)。初回時には期待で胸が踊り、深夜、先輩と待ち合わせて新宿の劇場で(第一部)『旅の仲間』の映像を堪能したものだった。一回観ただけではもったいない気がして、劇場に通いつめ何度も観直した。しかし……観れば観るほど物足りなさが募ってくる。

 神は細部に宿るというが、細部にケチを付けたいのではない。初見の際に、その再現性に驚いた(霧ふり山脈の峻厳さには圧倒された)。浅瀬でフロドたちを救援に現れるグロールフィンデルがいつの間にかリヴ・タイラー演じる“健康的な”アルウェン姫に変わっていても、苦笑はしたが許容範囲ではあった(もっともこれは、映像で中つ国に触れられた喜びに勝るものはなかったというだけの話かもしれない)。
 いずれにせよ、筆者は『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を極めて高く評価している。しかし、求めすぎだと重々承知はしていたものの、やはり映画にはあの感覚が欠落していたと言わざるをえない。いや、原作の『旅の仲間』の色調、“昏さ”――この感性を、おそらくピーター・ジャクソンは意図的に排除したのではなかろうか。

 『指輪物語』はラルフ・バクシによって(原作の前半にあたる部分が)すでにアニメ映画化されていたが、バクシ版の『指輪物語』には、(クリーチャーを実写の映像をキャプチャーとして取り込むなどの)もろもろの試みによって、こうした“昏さ”を色調として取り入れようする試行錯誤が見受けられた。
 ジャクソンはバクシ版『指輪物語』を熱心に研究していたという。なのになぜ、バクシがトールキンから引き継いだ“昏さ”を受け入れなかったのだろうか。むろん、ジャクソンが“昏さ”を理解していなかったとは思えない。なにしろ、『ロード・オブ・ザ・リング』で世界的な大ヒットを飛ばす前、ジャクソンが監督した映画には、少女たちの「内宇宙(インナー・スペース)」の交歓を主題にした『乙女の祈り』にしろ、ルサンチマンに満ち満ちた(賛辞としての)B級ホラー『バッドテイスト』『ブレインデッド』にせよ、『指輪物語』の“昏さ”に呼応してもおかしくない部分が多々、見受けられたからだ。

 映画『ロード・オブ・ザ・リング』は箱庭的な映画であるとまま言われる。莫大な予算を投入し、アラン・リーのヴィジュアルに代表される「箱庭としての」『指輪物語』を、ピーター・ジャクソンは映像を通して再現しようとした(その模様は各種メイキング映像で触れることができる)。そして、その試みは世界的な成功を収めた。バクシ版の『指輪物語』の後篇が封切られず、事実上『指輪物語』の映像化は不可能とみなされていた状況において、ピーター・ジャクソンが成し遂げた仕事の功績は、その壮大なスケールと相俟って、映画史における一つのメルクマールとなりえたのだろう。
 一方、『ベーオウルフ』や『ガウェイン卿と緑の騎士』を研究していたトールキンが、自作を過去の叙事詩との内在的な連関性を抜きにして考えていたとは思えない。だが、ピーター・ジャクソンはそのような方向性を、映像化にあたって、あえて切り捨てざるをえなかったのだろう。まずは『指輪物語』三部作をきちんと映像として再現すること。壮大な物語を未完で終わらせず、きちんと最後まで描ききること。なんとも味気ない言い方になってしまったが、それこそがピーター・ジャクソンの目論見だったのではなかろうか。
 しかし一方で、絵画芸術やオペラ、映画芸術などで表現された精神性が『指輪物語』に大きな影響を与えてきたことは、どれだけ強調してもし足りないだろう。ドイツ・ロマン派の画家カスパー・ダーヴィッド・フリードリヒは、廃墟や荒涼たる糸杉の情景を好んで描いたが、そこで彼は荒涼たる自然を描出しながら、自然に美を付与する神性を浮き彫りにしようとした。
 ロバート・ローゼンブラムは『近代絵画と北方ロマン主義 フリードリヒからロスコへ』において、フリードリヒから19世紀絵画の「北方ロマン主義」に至る系譜を裏付ける作業を行なっている(*1)。ここからトールキンにつなげるルートを探すのは、おそらくそれほど困難ではない。より率直に、リヒャルト・ヴァーグナーの『ニーベルングの指環』を間に挟めば、彼らのインスピレーションの源としてのドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を共通の祖とし、ドイツ・ロマン派とトールキンをつなげようとすることもできるだろう(*2)。

 ここで『ニーベルンゲンの歌』について、もう少し考えてみよう。『ニーベルンゲンの歌』はフリッツ・ラングの監督で映画化されたが、その際にラングは第一部では英雄ジークフリートが邪竜ファーヴニルを成敗する物語を重視し、第二部では、復讐鬼クリームヒルトと簒奪者ハーゲンとの骨肉相食む争いを描いた家内劇の側面をクローズアップした。ラングはゲルマンの叙事詩を「現代の物語」として伝えるにあたり、民族の深層に深く染み渡ってきた英雄劇と家内劇としての復讐譚の二点に着眼したのは疑いのないところだろう。しかし一方でラングが自分の仕事が全体主義的な精神性へ括られることを拒んで(ナチのプロパガンダとして利用されるのを拒んで)アメリカへ亡命したのは広く知られているし(*1)、『ニーベルンゲンの歌』に題材を採ったヴァーグナーにしても、トーマス・マンの講演『リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』によって、リヒャルト・ヴァーグナーを第二次世界大戦下の大きな暴力、ナチズム、全体主義的な運動体から切り離そうと試みられた。ヴァーグナーが描いた民族精神は、全体主義などに括られる卑小なものではまったくないとマンは主張したのである。
 そしてトーマス・マンがヴァーグナーを擁護しようとした動機と同じ問題意識を、『指輪物語』の翻訳者である瀬田貞二は抱いていたのではないかと筆者は考えている。瀬田はトールキンが自作を隠喩として受け止められることを嫌った事実を大前提としつつも『ホビットの冒険』に登場する赤竜(黄金竜)スマウグによる「たての湖」エスガロスへの襲撃を第二次世界大戦下の爆撃に見立て、あるいは「一つの指輪」を原爆に準える読み方を示唆せざるをえなかった。そうすることで逆説的に、トールキンを俗流ロマン主義的、そして全体主義的に受容される可能性を退けようとしたのだろう。
 実際、『指輪物語』と戦争の可能性を考えるにあたって、おそらく最も語りづらいのが、このヴァーグナーとナチズムの関係にあたる部分だ。トールキンは自作に政治的な含意を認めなかったが、それでも『指輪物語』は往々にして“白豪主義的”だとの非難に逢っている。『指輪物語』に大きな影響を受けたアーシュラ・K・ル=グィンの『ゲド戦記』(意外と知られていないが、この作品は「68年小説」の系譜にも含められる)では、白色人種たるカルガド人がマイノリティとして描かれていた。この点、ル=グィンの創作の背景に根づいている文化人類学的な方法と相俟って、それがトールキンへの批評意識によっている部分も大きいのではないかと思える。
 事実、いかに本人が否定しようとも、軍人としてのキャリアを有したトールキン、『指輪物語』執筆時に紙不足に苦心したトールキンが、自身の体験した戦争の光景を作品へ投影した部分がまったくないと断言することは難しい。なにせ、『指輪物語』は両大戦の戦間期から第二次世界大戦のさなか、延々と書き継がれていた作品なのだから。

 こうした問題を思考するためには、やはりトールキンがいかに考え創作を行なっていたのかということについて、向き合うほかない。彼は自らの創作姿勢を、旧約聖書でヤーヴェが天地を創造したことをふまえ“準創造”と定義した。トールキン直々に薫陶を受けた翻訳家の猪熊葉子によれば、“準創造”によって定義された世界とは、すべてのもののあるべき「真実」の姿を目に見えるものとして提示した世界にほかならないという。ならば『指輪物語』につきまとう“昏さ”とは、作品と読み手の相互干渉性(インタラクティヴィティ)のみならず、それらの「真実」の姿と生の実体とのあわいを描いているからこそ生まれ出ずる、極めて特殊なものなのかもしれない。だが、トールキンが前提としたカトリックの神学を引くまでもなく、あるべき「真実」が文字どおりの「真実」だとするのであれば、当然、作品の依って立つ状況と無縁でいることはできないだろう。この「真実」を作品が成立した時代性の表象として読むことに筆者は抵抗を覚えているが、さりとてトールキンがレイシストかどうかを審議するくらいであれば、『指輪物語』を、戦間期から第二次世界大戦下にかけて成立した――カール・シュミット言うところ――「例外状態」の反映として読む視点を導入した方がよいのではないかと思わざるをえない。

 こう考えると、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の第一部が、本国では2001年に公開されたこと、その年に9・11の同時多発テロが起きたという奇妙な照応にある種の気寒さを覚えてくる。『ロード・オブ・ザ・リング』における“死”の感覚の排除は、『ロード・オブ・ザ・リング』が「例外状態」に正しく向き合えていなかったということを意味してしまうのではなかろうか。

 9・11の同時多発テロを契機として、現代の戦争の様相は変化を遂げた。カール・シュミットいうところの「例外状態」が顕在し、その状況が恒常化し「例外社会」となる直前の時代精神を、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は全身で呼吸していたと見ることも可能だろう(『ロード・オブ・ザ・リング』三部作が、同時並行的に撮影がなされたことはよく知られている)。
 この点を、第二部『二つの塔』内での最大の激戦地である角笛城の戦いに代表される、戦争表現のあり方という観点から考えることも可能だろう。角笛城は――例えば米国ICE社が発売し日本語化もされた『指輪物語ロールプレイング』のサプリメント『ローハンの乗り手』のように――熱心な『指輪物語』の支持者であるゲームデザイナーたちによって詳細な地図が作られ、合戦の経過についても(想像の翼を広げた)研究が進められている。だが、おそらく『ローハンの乗り手』のデザイナーたちが捕捉していたような戦局の全体性をピーター・ジャクソンは考慮していない。端的に言って、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の戦争描写はひどく単純化されたものと受け止めざるをえない。
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※『指輪物語ロールプレイング』のサプリメント『ローハンの乗り手』

 続いて、映画版で排除されたエピソード群についても考えてみよう。例えば原作にはトム・ボンバディル、あるいはゴールドベリといった「一つの指輪」の影響から超然とした存在が描かれていたが、彼らは映画版には登場しない。また『王の帰還』の原作のラストで語られる「ホビット庄の掃討」は、おそらく「一つの指輪」を挟んだフロドとゴクリの対立構造を「一つの指輪」なき状況において反復した、いわば(前作『ホビットの冒険』と同じように)「行きて帰りし物語」である『指輪物語』のセルフ・パロディとして機能する極めて重要な挿話だ。しかしこの部分も、映画版においてはまるごとカットされてしまっている。

 今回は以上の二点を取り上げたが、それ以外にも単純化された戦争描写、そして物語における重層性の軽視はまま見られる。これらが映画全体における“昏さ”の排除と、密接な関係性を有していることは言うまでもないだろう。そして『ロード・オブ・ザ・リング』のみならず、トールキンの影響下にある現代のSFやファンタジー全般において、これらの問題は重要性をいや増していると言うことができる。
 ピーター・ジャクソンの功績は確かに大事だ。彼は『指輪物語』を「現代の物語」として再生させたと讃えられた。しかし彼の「読み直し」(リ・リーディング)は『指輪物語』をフラットなものとして捉え直す結果となってしまった。時代的な要因も大きく関わっているだろう。彼がニュージーランドを撮影の舞台に選んだのは、9・11前夜の政治的な状況から作品を切り離すためだったのかもしれないが、結果として彼の試みは「例外社会」における自閉的な精神性の反映としても受け止められるものとなってしまった。すなわち『ロード・オブ・ザ・リング』は「例外状態」から目を背けることにより、「例外社会」をそれ自体として体現してしまったとみなすこともできるのである。とすれば『王の帰還』が日本で封切られてから7年近くが経過し、『ホビットの冒険』の映画化の進行が難航していると伝えられる今、彼が切り捨てたものにいま一度目を向け直す必要があるのではなかろうか。

 周知の通り、日本においても『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は記録的な大成功を収めた。そしてその時期は、日本における「セカイ系」の流行と奇妙な重なり合いを見せている。ひょっとすると、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は、半ば無意識的に、他者性を欠いた「セカイ系」のような受容をなされた部分があるかもしれない。現に単純化された戦争描写と、物語における重層性の排除という観点は「セカイ系」の特徴そのものであるし、二〇〇〇年代前半のSFやファンタジーの多くとも共鳴を見せている。

 筆者は『「世界内戦」とわずかな希望 伊藤計劃・SF・現代文学』(2013年11月刊行予定、アトリエサード/書苑新社)に収められている「「世界内戦」下の英雄(カラクテル)――仁木稔『ミカイールの階梯』」においては、こうした「セカイ系」的な考え方が排除した「中間領域」がいかなる重要性を有しているのかを、トールキンの準創造論、ひいてはL・スプレイグ・ディ=キャンプのヒロイック・ファンタジー定義やピーター・P・パーラが『無血戦争』で記した(戦略論における)シミュレーションという考え方を軸に、9・11以降の戦争状況にできるだけ向き合った形で論じたつもりだ。仁木稔の傑作SF小説『ミカイールの階梯』の作品論という形を取っているが、『ミカイールの階梯』の戦略は、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の問題点を乗り越えるための重要なヒントをも懐胎している。ご興味をお持ちの方は、お読みになっていただければ幸いだ。

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 なお最後になるが、筆者は『王の帰還』のラストシーン、すなわち「滅びの山」に「一つの指輪」を投げ入れた後の場面の描写こそが、『指輪物語』における“昏さ”の最深奥であると考えている。


 そして大将たちが南の方モルドールの地をまじろぎもせず見つめるうちに、雲のとばりになお黒く、巨大な人の影のようなものが上ってきたように思えました。それは一切の光を徹さないほど黒く、頭に稲妻の冠をいだき、空をいっぱいに占めていました。下界を見降ろして高く大きく頭をもたげると、それは途方もなく大きな手をみんなに向かって嚇すように突き出しました。その恐ろしさは総毛立つほどでしたが、それでいてもはや何の力もなかったのです。なぜなら、それが一同の上に身を屈めたちょうどその時、大風がそれをさらって運び去り、消え去ったからです。そのあとはしーんと静まりました。
 (J・R・Rトールキン『指輪物語 王の帰還』(下)、瀬田貞二・田中明子訳、評論社、一九九二年)


 ちなみにこの箇所は『指輪物語』が重要なモチーフとなっている現代文学、ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社)においても引用される。
 同書については「ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(都甲幸治/久保尚美訳、新潮社):SFとRPGと魔術的リアリズムのハイブリッドが生んだ新しい文学!」(http://analoggamestudies.seesaa.net/article/187896045.html)を参照されたい。


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【脚注】

(*1)フリッツ・ラングとナチズムの関係については諸説ある。しかし1931年の『M』や1943年の『死刑執行人もまた死す』が全体主義的な精神性への強烈な批評性を有しているのは「例外状態」との関係からも疑いのないところであろう。
(*2)『近代絵画と北方ロマン主義』で取り上げられた「北方ロマン主義」という考え方については、石岡良治の簡潔なまとめが参考になる(http://www.artgene.net/dictionary/cat56/post_98.html)。
(*3)ここで『指輪物語』日本語版の表紙や挿絵を担当した画家、寺嶋龍一の重要性を外すことはできない。しかし本稿では論旨の明確化のため深入りを避ける。ただ筆者が寺嶋龍一を『指輪物語』の“昏さ”のよき理解者であると認識していることは付言しておきたい(例えば、彼の描いたガンダルフとバルログの対峙を置いてみよう)。なお本稿では素描にとどまったが、レッシング『ラオコオン』に代表される絵画言語と詩的言語の対比を嚆矢として、『指輪物語』は今一度、事物の羅列に留まらず、批評的に読み解かれるべきに違いない。

※本原稿は2011年1月10日に「限界小説研究会BLOG」に掲載されたが、同ブログが更新停止している事情を鑑み、加筆修正のうえ「21世紀、SF評論」に転載した。初出時にご意見をいただいた読者に感謝したい。
posted by 21世紀、SF評論 at 21:39| Comment(1) | TrackBack(1) | SF評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月05日

30年前の「ユリーカ!」―−再び『百億の昼と千億の夜』について(宮野由梨香)

 第3回日本SF評論賞を受賞させていただいた拙稿「阿修羅王は、なぜ少女かーー光瀬龍『百億の昼と千億の夜』の構造」(〈SFマガジン〉2008年5月号掲載)について、少し書いておきたいと思う。
 発表後、「推理小説のよう」という評がいくつかあった。さもありなんと思った。
 謎を解きたくて、私はあの評論を書いた。だから、応募時のタイトルは「光瀬龍『百億の昼と千億の夜』小論―― 旧ハヤカワ文庫版「あとがきにかえて」の謎」だった。
 「あとがきにかえて」という文章が私に謎をつきつけてきたのは、30年以上も昔のことだ。

                    ○

 1979年、私は大学に入学したばかりだった。大学の図書館は高校とは比べものにならないほど大きく、専門書が充実していた。図書館は古い大きな石造りの建物だった。裏は林になっていた。その時、そこからカッコウの声が聞こえていたのを覚えている。
 目の前には『仏教大辞彙』(冨山房)があり、「阿修羅」の項目がひろげられていた。だが、私はそれを見てはいなかった。私が見ていたのは、自分の頭の中にある光瀬龍の次の文章だった。

 実はこの阿修羅王は経典によれば、乾脱婆王の美しい一人娘をかい間見て心を奪われ、ぜひお嫁さんに、と申し込むのですが、異教の徒である阿修羅王の願いは容れられるはずもなく、阿修羅王は泣く泣く引込むわけですが、その娘のことがどうしてもあきらめられず、ついにかれは精兵をひきいて乾脱婆王のもとに攻め込むのです。乾脱婆王は仏界第一の王たる天輪王に助けを求め、天輪王は帝釈天に阿修羅王の討伐を命じ、ここに未曾有の激戦がくりひろげられます。阿修羅王のひきいるのは魔力を備えた比類ない精強な軍勢ですが、帝釈天もまた天兵をひきいて決して負けることがないのです。決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです。決して勝つことができない相手、つまり絶対者を相手どって阿修羅王は永遠に戦いつづけなければならなくなったのです。決して得られるはずのない一人の美しい娘を得んがためにです。
  (「あとがきにかえて」(ハヤカワ文庫旧版『百億の昼と千億の夜』所収 397ページ)

 
 この文章を初めて読んだのは、高校1年生の時だった。もちろん、実際にこういう話が経典にあるのだと信じた。そして、原典をいつか読みたいものだと思っていた。
 だから、「大学の図書館になら、その原典があるかもしれない」と思って、土曜日の午後、図書館に籠って、ひたすら調べ、捜した。見つからなかった。捜せども捜せども、見つかるのは「逆の話」だった。どの本でも、阿修羅王と帝釈天の戦いの由来は、阿修羅王の娘を帝釈天が暴力で奪ったことにあるとされていた。
 私は困惑した。いったいこれはどういうことなのか?
 改めて「あとがきにかえて」という文章全体の構成を思い出してみた。前半に舞台劇のカーテンコールに対する批判が書かれていた。「演じ終ってからふたたび舞台に顔をさらす役者」は劇の感興を削ぐという指摘だった。
 あっと、気がついた。
「そうか。これは創作なんだ。光瀬龍の『作品』なんだ。それを示すために、前半に「あとがきで素顔をさらすことに対する批判」を書いて、この「あとがきにかえて」において、自分は「光瀬龍」であり続けると宣言しているんだ!」
 光瀬龍は、本来の設定とは「逆」の話を創作し、それを創作であることを見抜ける者にだけ見抜けるように文章を構成した。
 では、これはきっとテストだ。というか、むしろヒントだ。ここが「第一の関門」であることを示すものだ。この文章にはさらに「見抜いて欲しい」ことがあるに違いない。だからこそ、こんな仕掛けがしてあるのだ。でなかったら、こんな面倒なことをする意味がないではないか。
 では、第二、第三の関門も越えてみせよう!
 私は考えた。話を逆にするというのは、要するに「現実は逆」ということではないか。
『ロン先生の虫眼鏡』の記述によると、どうやら光瀬龍には妻子があるらしい。既に結婚している男にとって、この話が実存的に正しいとすれば、そして「逆が現実」ならば、彼は結婚を阻止されたのではなく強要されたということになる。結婚自体が敗北の決定だった。だから「絶対に勝てない」のだ。勝負は既についているからである。
 何らかの事情で彼は妻の身内に結婚を強要されて、それに従わざるを得なかったのではないか? では、妻の身内がそういう措置に出る状況とは何か? 妊娠である。そう考えるのがごく自然だ。しかし、不自然なことがある。「乾脱婆王の美しい一人娘」という設定である。「乾脱婆王」ー「婆」という文字が気になる。これは娘の母親を暗示しているのではないだろうか。だとするなら、「乾脱婆王は仏界第一の王たる天輪王に助けを求め」の天輪王とは、「娘の父」であろう。ではどうして「天輪王の一人娘」と書かないのか? それは「乾脱婆王の一人娘」は、「天輪王の一人娘」ではないからだ。天輪王には別に妻子がある。そして、娘とは一緒に住んではいない。
 次の段階の「天輪王は帝釈天に阿修羅王の討伐を命じーー中略ーー決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです」の帝釈天とは何か? タイシャクという音から連想するのは「貸借」である。彼には経済的に追い詰められた身内がいたのではないか? その身内の借金を肩代わりすることを結婚の条件として示されたのではないか? あるいは彼自身が何らかの理由で経済的に困窮していたのかもしれない。
 光瀬龍は1928(昭和3)年の生まれである。そのちょっと上の世代の男は多く戦死した。「男ひとりに女はトラック一杯」と言われた時代ほどではないにしても、光瀬龍が結婚した頃は、まだまだ、母親が父親と正式に結婚していない娘の結婚は難しかっただろう。しかも、娘だけではなく母親の面倒も見てくれる保証のある相手でなければ彼女は結婚できないのである。
 父親としては娘が不憫でならないだろう。経済力のある父親だったら、それで何とかしようとするだろう。そして、娘にはそういった自分の暗躍については一切知らせないだろう。
「ううむ。だから、阿修羅王はヘロデ王の赤子殺しを手を打って笑うのだね。そして『征東都督府』はかもめちゃんの妊娠で終わり、元さんは何も知らないままに自分の子としてその子を育てることが暗示されるんだ! あの作品を読んだ時、何だか治りきっていない傷口の瘡蓋をはがして血を流している感がしたのは、そのせいか!」
 このようなことを考えていた時のことだった。いきなり、今までに読んだすべての光瀬作品がピースとなって一枚の絵を構成した。「ユリーカ(我、発見せり)!」と叫びたいほどに感動して、私はそれを眺めた。
 光瀬龍は「妻には言えないこと」あるいは「誰にも言えないこと」をかかえている。それ故に「小説を書く」しかないのだ。そうやって「外に出す」ことでしか、彼は自分を保てない。しかし、だからこそ彼の作品は「誰にも言えないこと」をかかえてしまった者の魂を救う!
 どうやって救うか? 「美しい少女」の姿を示すことによってだ。
 「誰にも言えないこと」を抱えてしまった者が、それでも、この世に見切りをつけない理由は、この世に「美しい少女」がいるからだ。いや、逆だ。自分自身に、この世に見切りをつけさせないために、この世に留まるべき理由となるような「美しい少女」を、彼は作らなくてはならなかったのだ。
 「あとがきにかえて」で光瀬龍は「天平の無名の一仏師はそのような阿修羅王を土をこねり、布を巻き、漆を塗ってあますところなく造り出しました。まことにすばらしいわざです」と書いた。光瀬龍は土や布や漆の代わりに言葉でそれをやりとげた。
 しかし、その作業には終わりがない。
 「あとがきにかえて」で語られた「決して得られるはずのない一人の美しい娘」とは、彼の描くヒロインだ。彼の描く阿修羅王やヒロ18や笙子はすべて「一人の美しい娘」の似姿なのだ。
 「『光瀬龍とは何か』が私にはわかった」と思った。林でまたカッコウが鳴いた。
 その約一年後に、作者に遭う機会が訪れようとは、もちろん夢にも思わなかった。

                    ○

 評論賞に応募したのは、全くの偶然だった。
 私は「30年前のユリーカ」とは異なる説を論に書いた。たぶん、こちらの方が真実であると信じたかったのだ。その一方で、「背理法」を意識しないでもなかった。あの論で述べた「娘の父」をめぐる説は「30年前のユリーカ」に比べると整合性に乏しい。しかし、あの「経典」の物語が実存的に真実だとしたら、どちらかを採るしかない。少なくとも私には、それ以外の説明を思いつくことができない。しかも、光瀬龍は『百億の昼と千億の夜』を指して「あれは、私小説なんですよ」と言ったのだ。
 そのことも、受賞作に書いた。
 材料を並べて示せば、私の「30年前のユリーカ」と同じ結論に行きつく読者もいるだろうと思わないでもなかった。
 その予想は外れた。
 だが、その後、〈SFマガジン〉に連載された評伝を読んで驚いた。
 「30年前のユリーカ」の傍証となるような事実(普段は家庭にいない父の娘(2012年4月号230頁)・結婚前の妊娠(2013年2月号248頁)・娘に知らせないままに決定された結婚(2013年5月号164頁)が示されていたからである。

                    ○

 もちろん、私は「30年前のユリーカ」の正当性を、いまさら主張したいわけではない。しょせん、高校を卒業したばかりの18歳の小娘の妄想にすぎない。
 だが、その一方で、50代の今だからこそわかることがある。
 それは、「結婚のいきさつ」についての自己物語が一致する夫婦など皆無であろうということだ。妻の側の自己物語でもって、作家の評伝を構築するのは無謀である。ただし、作家によっては、その乖離を読むことに深い意義のある場合もあるだろう。問題は、乖離を乖離として把握できるかにある。
 『百億の昼と千億の夜』をマンガ化した萩尾望都は、昨年十一月に出版された『萩尾望都 対談集 1990年代編 物語るあなた 絵描くわたし』のために新たに語り下ろされた対談で次のように語っている。
 
  出版社の人が、「ご両親にインタビューしたい」と言って、福岡の実家に行ったんです。その時に、「娘さんが漫画家になるのにずっと反対されていたそうですが……」と言ったら、両親が声をそろえて「私たちは反対したことは一度もありません」って。姉がそばで聞いていて、びっくりして、「反対していたんじゃない?」と小さい声で言ったらしいですけど、無視されたらしいです。(「東村アキコ×萩尾望都」224ページ)
  
 
 この両親の言葉を鵜呑みにして萩尾望都の評伝を書くような類の愚を犯してはならないだろう。

                    ○

 もちろん、鵜呑みにしてはいけないのは作者自身の発言だとて同じである。
 1980年に、光瀬龍は竹宮恵子との対談で、このように語った。
 
 少年というのはまだ不幸を経験していない人間なんですよ。過ぎ去った不幸を知らないんですよ。――中略――少年にとって一番最初に起こる不幸な出来事というのは、失恋のはずですよ。両親に死に別れたり、家が家事になったりというのとは全く異質な出来事なんですよ。つまり、初めて自分が他人に対して挫折したということでしょ。両親が死んだということは、自分の延長上にあることで、他人じゃないんですよ。少年の挫折を描くとすれば、失恋しかありえないと思うわけよ。――中略――最初に強烈な恋をするとするでしょ。そうすると、少年を通して見る少女っていうのは、おそろしく理想的なものですよ。そういう形の自分の理想像がそうではなかったというか、理想像に限りなく接近しようとして、限りなく疎外されるとかね。こういうことの中に少年たちの不幸とか悲哀というのが煮えたぎって入っているんですね。――中略――人格から、その後の生き方からガラッと変えるような傷つき方は失恋しかないですよ。――中略――人にもよるけれど、女性っていうのはあまり失恋だとか初恋に破れたということで痛手を負ってない気がするけどね。――中略――女性は、新しい恋人にあまり抵抗を感じないで変わって行けるようですね。それは神のしからしむみたいな所があって。(笑)男の目から見ると、女の持っている安易さとかずるさみたいなものがやたら目につくんですよ。だけど、それはずるさでもなくって、ひとつの生き方なんでしょうね。――中略――だけど、男の子たちには女ってずるいというような事、わかんないからね。その辺に青春前期の人たちと大人との大変な違いがあるのね。僕はこれこそが、ロマンの源じゃないかって気がしますね。
 (「対談 男として女として 光瀬龍VS竹宮恵子」 〈別冊マンガ少年〉『地球(テラ)へ 総集編 第一部・第二部』所収  298ページ)

 非常に興味深い内容ではある。だが、ここから過剰に意味を読み取ることは慎むべきであろう。
 むしろ、作品こそが、実はすべてを語っている。
 評論とは、その作品の語る声なき声を、皆に聞こえるようにするためにある。

                                   (了)
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2013年03月13日

「人間についての謎 2」(戸川達男)

 《お知らせ》
 以前「連続講座 SFと科学01「人間についての謎」」を当ウェブログに掲載してくださった、戸川達男さまが、「21世紀、SF評論」に続編「人間についての謎 2」を寄稿してくださいました。
 この場を借りて戸川さまのご厚意に感謝いたします。
 読者の皆さまにおかれましては、広く碩学の知見をお愉しみいただけましたら幸いです。
(岡和田晃)
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 第6回日本SF評論賞選考委員特別賞を受賞された藤元登四郎氏から、受賞作品となった評論が載ったSFマガジンが送られてきたのがきっかけで、SF評論賞受賞者のブログに寄稿させていただいてから2年たった先月のこと、藤元氏からまた氏の評論が載ったSFマガジンが送られてきた。

【月刊】SFマガジン 2013年4月号
S-Fマガジン 2013年 04月号 [雑誌] [雑誌] / 早川書房 (刊)

 「神林長平「ジャムってなんですか?」−「アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風」」というタイトルは、わたしには難解だが、これに比べて普段読んでいる論文のタイトルはなんて平凡なんだろうと思った。評論の内容は正確に理解しようとすると難解だけれど、藤元氏の鋭い洞察による解説のおかげで、問題の核心がやはり人間についての謎であることがはっきりわかった。しかも、そこにはこれまで解明の糸口さえつかめていなかった謎があり、多くのSF作家の作品はその謎解きへの果敢なチャレンジだということもわかった。それに比べて、普通の科学のチャレンジはなんとスケールが小さいのだろう。
 今回SFマガジンが送られて来るほんの1週間前に、たまたま研究会で話題提供したのが、実はこのことだった。そのときの資料の一部分はこんな内容だった:
 ごく最近、些細なことがきっかけで、ハードプロブレム(難問)について再考した。あるときコーヒー用の容器入りの砂糖(マウイゴールドシュガー)を買ったところ、粒状の砂糖が固まっていて容器の蓋の小穴から出なかった。そこで箸で少しづつくずしていったところ、かなり手間がかかったが、しまいには全部の塊がくずれて問題が解消した。このことから、科学の方法論についてひとつのヒントを得た。多くの科学の分野の問題は、部分の研究の積み重ねによって全体の問題が解決する。しかし、中には解決の鍵となる糸口を見出さないかぎり、部分の知見の積み重ねが無力であるような問題があるようだ。もし意識の解明がこのたぐいの問題だとすると、小さな研究の積み重ねでは解決できない。チャーマースが意識の解明はハードプロブレムだと言ったのはこのような意味に解釈できるかもしれない。

 普通の科学者は、砂糖の塊を箸でくずしていくような研究ばかりやっているので、くずした砂糖粒の数で作業の出来高が評価されるしくみになっている。いわゆる業績目録にある論文が砂糖粒である。ハードプロブレムに取り組んでいたのでは結果が出ないので業績が挙がらない。それではいい職に就くこともできないので、しかたなくハードプロブレムは放棄して砂糖粒を崩すようなイージープロブレムにばかり取り組むようになってしまう。
 そこのところをSF作家とSF評論家の業界ではうまく処理されているように思う。SF作家は人間の謎の解明のようなハードプロブレムに取り組む一方で、作品の良さがいろいろな視点で評価されるので、謎の解明の結果が出なくてもほかの面で高い評価を得ることができるし、ハードプロブレムへの取り組みについてもそのチャレンジ自体が評価されるしくみも確立しているようだ。そうだとすると、人間の謎の解明はSF作家とSF評論家が科学者の先を越すかもしれない。
 ところで、わたしが人間の謎の解明にこだわってきたひとつの理由は、人類の未来に対する危機感からだった。いま人類は、人口過剰、地球温暖化、環境破壊、遺伝子の変質などによって近未来に絶滅するかもしれない危機に直面していることが指摘されているのに、一般の人も政治家も科学者もほとんど無関心のようなのだ。たとえば、小児麻痺の撲滅に大きな貢献をしたオーストラリアの細菌学者フランク・フェナーが「人類は100年以内に絶滅するに違いない。今から何をしてももう手遅れだ。」と語ったこと(1)がBBCなどで報道されたが、ほとんど反響がなかったとのことである。しかも、未来に危機感を持っている科学者や政治家は、ただ科学的なデータを示すばかりで、なぜ人々が人類の未来を救おうとしないのかという人間の問題に迫ろうとしていない。それがなぜなのかはやはり人間の謎のひとつのようだ。しかし、今となっては、人間の謎の解明にこだわっていてはもう手遅れかもしれないので、試行錯誤的にでも多くの人の心を未来に向けさせるような方策を試みなければならない。
 そこでまたSFが鍵をにぎるのではないかと思う。未来については不確定な事柄が多いので科学者はあまり確かなことが言えないが、フィクションであれば大胆な仮定をしてもかまわない。実際、100万年後の世界をリアルに描くことは造作ないに違いない。すでに人類が絶滅しているという設定もできるし、かろうじて少数の人が生き残っているという設定もできるだろう。100万年後に今より繁栄している世界を描くのは非現実的だが、その不自然さを逆効果に利用することは有効かもしれない。こういう世界を想像するのはハードプロブレムではないが、多くの人に受けるような作品を作るには高度のテクニックが要るに違いない。それでも、多くの人々が未来に関心を持つきっかけが作れるなら、未来の人々のためには科学者の指摘よりはるかに大きな貢献となることは間違いない。
 わたし自身は文学的才能がないのでいい作品を作ることができないが、具体例があった方がわかりやすいかもしれないので、つい先日たまたま日本心臓ペースメーカー友の会の機関誌「かていてる」に投稿した原稿「遠未来の人々のためのペースメーカー」(2)の草稿の最終章を以下に転載したい。こんな古風なスタイルではなく、もっと斬新な作品がぜひともほしいのだが、いまのわたしの力ではできそうもない。

《21世紀の人々への贈り物》
 21世紀の奇跡から100万年の時が流れ、人類はその間に数々の試練に遭遇しました。人類はもうこれで絶滅かと思われたことも何度かありましたが、幸い絶滅だけは回避することができ、今は世界人口が21世紀初頭の2割くらいで安定しています。自然環境はまだ貧弱なもので、生物種の数としては21世紀初頭の1割程度にまでしか回復しておらず、専門家は生物種の数が21世紀のレベルまで回復するにはまだ数100万年はかかるだろうと言っています。それでも、こうしていま人類が生き残っていられるのは、生命の歴史の中で最悪の大絶滅が起ころうとしていた21世紀に、加速度的に進みはじめた地球温暖化による人類の絶滅を間一髪のところでくい止めることができたあの出来事のおかげなのです。
 温室効果ガスを大量に排出すると地球温暖化が起こることは19世紀にすでに指摘されており、20世紀後半には大気中の二酸化炭素濃度が上昇しはじめていることがはっきりわかっていました。そこで、国連に調査機関が置かれ、気候変動のデータが集められ、温暖化の危険と必要な対策についての詳しい報告が何度も提出されました。それにもかかわらず、温室効果ガスの排出規制のような具体的な対策がいっこうに進まず、21世紀になっても温室効果ガスの排出は増し続けました。多くの科学者は地球温暖化の危険について熱心に訴えましたが、温室効果ガスの削減が経済に悪影響をおよぼすことを恐れて、どこの国も大胆な対策をとることができませんでした。そんな時代に起こったのがあの出来事だったのです。
 後に21世紀の奇跡と呼ばれるようになったあの出来事は、ほんの小さなきっかけで始まったのです。それは地球温暖化についての科学的なデータを示すのではなく、多くの人が環境異変によって生存を脅かされる人や生物のいのちをいとおしむ心を持つことがぜひとも必要だという指摘でした。そのことを気づかせたのは金子みすゞの「大漁」という詩(3)だったと言われています。

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。

 この詩が、世界中が経済発展を追い求めてわきたっていたときに、その陰でなすすべのない未来の人の痛みに寄り添う人がいないのだろうかという問いかけのように響いたのです。
 幸い、多くの人に詩の心を感じ取る感性が残っていました。21世紀初頭に、地球温暖化による異常気象、森林伐採のような環境破壊、環境汚染物質の海洋への蓄積などによって生物種の数が激減しはじめ、もはや手の打ちようがなくなる一歩手前まで来たとき、たまたま金子みすゞの詩に触発されてはじまった未来の人をいとおしむ心の訴えが、草の根の運動となって広がりはじめたのです。そして、その運動は「未来の人々との絆」と呼ばれるようになり、さまざまなメディアを通して世界中に広がりました。多くの人気アーティストたちは未来の人々との絆をテーマにした歌を歌ってヒットし、小説や映画をはじめあらゆるジャンルで未来の人々との絆が取り上げられるようになったのです。
 やがて、未来の人々との絆が政治を動かすようになりました。当時多くの国は民主的な政治形態をとっていると自負していましたが、そのころは成人に達している国民の投票だけですべてのことが決められるしくみになっていたのです。そのため、未来の人にどんな不都合が起ころうとも、未来の人の権利を政策に直接反映させることができなかったのです。未来の人々との絆の運動によって、その不合理性が指摘されるようになって、小さなコミュニティーのレベルから国連まであらゆる決定の場に未来の人の代弁者を加えることが義務づけられるようになりました。はじめは未来の人の代弁者が加わってもごく少数の場合が多かったのですが、やがてその数が増し、国連をはじめ多くの国の議会でも未来の人の代弁者が半数以上を占めなければいけないとする原則が定着していきました。こうして人類の存続をつねに最優先にするルールが確立したのです。
 いま、21世紀の人々が100万年後のわたしたちに残してくれたものが何だったのか、冷静に考えてみたいと思います。これまでに多くの人が自然環境の大崩壊をまねいた張本人だとして21世紀の人たちを糾弾してきました。たしかに、環境危機が予測されていたにもかかわらず、しっかり対策をとらなかったことは疑いない事実です。けれども一方では、環境危機が進行してまさに生態系の完全な崩壊が近いという時に至って人類を絶滅から救ったのは、21世紀に起こった「未来の人々との絆」の運動だったこともまた事実なのです。もしあの出来事がなかったなら、わたしたちはこの世に存在することはなかったことは確かです。
 わたしたちのいのちは、生命の歴史の中で偶然に生き残ったいのちではなく、21世紀の人々の心からの贈り物なのです。未来の人々との絆の運動に立ち上がった21世紀の人々は、何の見返りも期待せず、感謝の言葉さえ聞くことがないとわかっていながら、遠未来の人々のために献身的に活動しました。わたしたちはいま、その人たちに直接に語りかけることはできませんが、私たちの心の絆の中で感謝の思いをこめた言葉を贈りたいと思います。
 21世紀の皆様、わたしたちがこの世に生まれてくる機会を与えてくださったことに心から感謝します。そして、こんなに長い時間の隔たりを越えて心の絆をしっかりと結び合う知恵を与えてくださったことに感謝します。この宝の重さは、失われた環境の重さより重いものです。わたしたちはこの知恵によって、さらに何百万年、何千万年も人類が存続し続ける希望を持ち、日常の不便をしのんでも未来の人々のために喜んで活動することができるようになりました。わたしたちは、ただ人類の存続だけではなく、未来の人々の心がもっと豊になることを願っているのです。そのためにこそ、わたしたちは未来の人々のために活動しようと誓うのです。そしてこの誓いを21世紀の人たちへの心からの贈り物として心の絆を通してお贈りしたいのです。

 これまでの論旨を要約すると、科学の問題にはイージープロブレムとハードプロブレムがあり、科学者のほとんどはイージープロブレムにだけかかわっていること、人間についての謎にはハードプロブレムが多いこと、人類の未来を救うためにはハードプロブレムの解明が望ましいこと、SF作家やSF評論家はすでにハードプロブレムへのチャレンジを行っていること、および、たとえハードプロブレムが解明されなくても優れたSF作品によって人々の心を未来の人類の救済に向けることができるに違いないこと、である。「SFが人類を救う」ということはフィクションの世界の話しではなく、現実に起こりそうなことのように思えてならない。

【注釈】
1. Firth N, Human race 'will be extinct within 100 years', claims leading scientist, Mail Online 19 June 2010
2.戸川達男、遠未来の人々のためのペースメーカー、かていてる、 44:2, 2013 近刊
3. 金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと JULA出版、 1985
posted by 21世紀、SF評論 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | SF評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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