発表後、「推理小説のよう」という評がいくつかあった。さもありなんと思った。
謎を解きたくて、私はあの評論を書いた。だから、応募時のタイトルは「光瀬龍『百億の昼と千億の夜』小論―― 旧ハヤカワ文庫版「あとがきにかえて」の謎」だった。
「あとがきにかえて」という文章が私に謎をつきつけてきたのは、30年以上も昔のことだ。
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1979年、私は大学に入学したばかりだった。大学の図書館は高校とは比べものにならないほど大きく、専門書が充実していた。図書館は古い大きな石造りの建物だった。裏は林になっていた。その時、そこからカッコウの声が聞こえていたのを覚えている。
目の前には『仏教大辞彙』(冨山房)があり、「阿修羅」の項目がひろげられていた。だが、私はそれを見てはいなかった。私が見ていたのは、自分の頭の中にある光瀬龍の次の文章だった。
実はこの阿修羅王は経典によれば、乾脱婆王の美しい一人娘をかい間見て心を奪われ、ぜひお嫁さんに、と申し込むのですが、異教の徒である阿修羅王の願いは容れられるはずもなく、阿修羅王は泣く泣く引込むわけですが、その娘のことがどうしてもあきらめられず、ついにかれは精兵をひきいて乾脱婆王のもとに攻め込むのです。乾脱婆王は仏界第一の王たる天輪王に助けを求め、天輪王は帝釈天に阿修羅王の討伐を命じ、ここに未曾有の激戦がくりひろげられます。阿修羅王のひきいるのは魔力を備えた比類ない精強な軍勢ですが、帝釈天もまた天兵をひきいて決して負けることがないのです。決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです。決して勝つことができない相手、つまり絶対者を相手どって阿修羅王は永遠に戦いつづけなければならなくなったのです。決して得られるはずのない一人の美しい娘を得んがためにです。
(「あとがきにかえて」(ハヤカワ文庫旧版『百億の昼と千億の夜』所収 397ページ)
この文章を初めて読んだのは、高校1年生の時だった。もちろん、実際にこういう話が経典にあるのだと信じた。そして、原典をいつか読みたいものだと思っていた。
だから、「大学の図書館になら、その原典があるかもしれない」と思って、土曜日の午後、図書館に籠って、ひたすら調べ、捜した。見つからなかった。捜せども捜せども、見つかるのは「逆の話」だった。どの本でも、阿修羅王と帝釈天の戦いの由来は、阿修羅王の娘を帝釈天が暴力で奪ったことにあるとされていた。
私は困惑した。いったいこれはどういうことなのか?
改めて「あとがきにかえて」という文章全体の構成を思い出してみた。前半に舞台劇のカーテンコールに対する批判が書かれていた。「演じ終ってからふたたび舞台に顔をさらす役者」は劇の感興を削ぐという指摘だった。
あっと、気がついた。
「そうか。これは創作なんだ。光瀬龍の『作品』なんだ。それを示すために、前半に「あとがきで素顔をさらすことに対する批判」を書いて、この「あとがきにかえて」において、自分は「光瀬龍」であり続けると宣言しているんだ!」
光瀬龍は、本来の設定とは「逆」の話を創作し、それを創作であることを見抜ける者にだけ見抜けるように文章を構成した。
では、これはきっとテストだ。というか、むしろヒントだ。ここが「第一の関門」であることを示すものだ。この文章にはさらに「見抜いて欲しい」ことがあるに違いない。だからこそ、こんな仕掛けがしてあるのだ。でなかったら、こんな面倒なことをする意味がないではないか。
では、第二、第三の関門も越えてみせよう!
私は考えた。話を逆にするというのは、要するに「現実は逆」ということではないか。
『ロン先生の虫眼鏡』の記述によると、どうやら光瀬龍には妻子があるらしい。既に結婚している男にとって、この話が実存的に正しいとすれば、そして「逆が現実」ならば、彼は結婚を阻止されたのではなく強要されたということになる。結婚自体が敗北の決定だった。だから「絶対に勝てない」のだ。勝負は既についているからである。
何らかの事情で彼は妻の身内に結婚を強要されて、それに従わざるを得なかったのではないか? では、妻の身内がそういう措置に出る状況とは何か? 妊娠である。そう考えるのがごく自然だ。しかし、不自然なことがある。「乾脱婆王の美しい一人娘」という設定である。「乾脱婆王」ー「婆」という文字が気になる。これは娘の母親を暗示しているのではないだろうか。だとするなら、「乾脱婆王は仏界第一の王たる天輪王に助けを求め」の天輪王とは、「娘の父」であろう。ではどうして「天輪王の一人娘」と書かないのか? それは「乾脱婆王の一人娘」は、「天輪王の一人娘」ではないからだ。天輪王には別に妻子がある。そして、娘とは一緒に住んではいない。
次の段階の「天輪王は帝釈天に阿修羅王の討伐を命じーー中略ーー決して勝つことができないものを相手にして阿修羅王は戦いつづけなければならないのです」の帝釈天とは何か? タイシャクという音から連想するのは「貸借」である。彼には経済的に追い詰められた身内がいたのではないか? その身内の借金を肩代わりすることを結婚の条件として示されたのではないか? あるいは彼自身が何らかの理由で経済的に困窮していたのかもしれない。
光瀬龍は1928(昭和3)年の生まれである。そのちょっと上の世代の男は多く戦死した。「男ひとりに女はトラック一杯」と言われた時代ほどではないにしても、光瀬龍が結婚した頃は、まだまだ、母親が父親と正式に結婚していない娘の結婚は難しかっただろう。しかも、娘だけではなく母親の面倒も見てくれる保証のある相手でなければ彼女は結婚できないのである。
父親としては娘が不憫でならないだろう。経済力のある父親だったら、それで何とかしようとするだろう。そして、娘にはそういった自分の暗躍については一切知らせないだろう。
「ううむ。だから、阿修羅王はヘロデ王の赤子殺しを手を打って笑うのだね。そして『征東都督府』はかもめちゃんの妊娠で終わり、元さんは何も知らないままに自分の子としてその子を育てることが暗示されるんだ! あの作品を読んだ時、何だか治りきっていない傷口の瘡蓋をはがして血を流している感がしたのは、そのせいか!」
このようなことを考えていた時のことだった。いきなり、今までに読んだすべての光瀬作品がピースとなって一枚の絵を構成した。「ユリーカ(我、発見せり)!」と叫びたいほどに感動して、私はそれを眺めた。
光瀬龍は「妻には言えないこと」あるいは「誰にも言えないこと」をかかえている。それ故に「小説を書く」しかないのだ。そうやって「外に出す」ことでしか、彼は自分を保てない。しかし、だからこそ彼の作品は「誰にも言えないこと」をかかえてしまった者の魂を救う!
どうやって救うか? 「美しい少女」の姿を示すことによってだ。
「誰にも言えないこと」を抱えてしまった者が、それでも、この世に見切りをつけない理由は、この世に「美しい少女」がいるからだ。いや、逆だ。自分自身に、この世に見切りをつけさせないために、この世に留まるべき理由となるような「美しい少女」を、彼は作らなくてはならなかったのだ。
「あとがきにかえて」で光瀬龍は「天平の無名の一仏師はそのような阿修羅王を土をこねり、布を巻き、漆を塗ってあますところなく造り出しました。まことにすばらしいわざです」と書いた。光瀬龍は土や布や漆の代わりに言葉でそれをやりとげた。
しかし、その作業には終わりがない。
「あとがきにかえて」で語られた「決して得られるはずのない一人の美しい娘」とは、彼の描くヒロインだ。彼の描く阿修羅王やヒロ18や笙子はすべて「一人の美しい娘」の似姿なのだ。
「『光瀬龍とは何か』が私にはわかった」と思った。林でまたカッコウが鳴いた。
その約一年後に、作者に遭う機会が訪れようとは、もちろん夢にも思わなかった。
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評論賞に応募したのは、全くの偶然だった。
私は「30年前のユリーカ」とは異なる説を論に書いた。たぶん、こちらの方が真実であると信じたかったのだ。その一方で、「背理法」を意識しないでもなかった。あの論で述べた「娘の父」をめぐる説は「30年前のユリーカ」に比べると整合性に乏しい。しかし、あの「経典」の物語が実存的に真実だとしたら、どちらかを採るしかない。少なくとも私には、それ以外の説明を思いつくことができない。しかも、光瀬龍は『百億の昼と千億の夜』を指して「あれは、私小説なんですよ」と言ったのだ。
そのことも、受賞作に書いた。
材料を並べて示せば、私の「30年前のユリーカ」と同じ結論に行きつく読者もいるだろうと思わないでもなかった。
その予想は外れた。
だが、その後、〈SFマガジン〉に連載された評伝を読んで驚いた。
「30年前のユリーカ」の傍証となるような事実(普段は家庭にいない父の娘(2012年4月号230頁)・結婚前の妊娠(2013年2月号248頁)・娘に知らせないままに決定された結婚(2013年5月号164頁)が示されていたからである。
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もちろん、私は「30年前のユリーカ」の正当性を、いまさら主張したいわけではない。しょせん、高校を卒業したばかりの18歳の小娘の妄想にすぎない。
だが、その一方で、50代の今だからこそわかることがある。
それは、「結婚のいきさつ」についての自己物語が一致する夫婦など皆無であろうということだ。妻の側の自己物語でもって、作家の評伝を構築するのは無謀である。ただし、作家によっては、その乖離を読むことに深い意義のある場合もあるだろう。問題は、乖離を乖離として把握できるかにある。
『百億の昼と千億の夜』をマンガ化した萩尾望都は、昨年十一月に出版された『萩尾望都 対談集 1990年代編 物語るあなた 絵描くわたし』のために新たに語り下ろされた対談で次のように語っている。
出版社の人が、「ご両親にインタビューしたい」と言って、福岡の実家に行ったんです。その時に、「娘さんが漫画家になるのにずっと反対されていたそうですが……」と言ったら、両親が声をそろえて「私たちは反対したことは一度もありません」って。姉がそばで聞いていて、びっくりして、「反対していたんじゃない?」と小さい声で言ったらしいですけど、無視されたらしいです。(「東村アキコ×萩尾望都」224ページ)
この両親の言葉を鵜呑みにして萩尾望都の評伝を書くような類の愚を犯してはならないだろう。
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もちろん、鵜呑みにしてはいけないのは作者自身の発言だとて同じである。
1980年に、光瀬龍は竹宮恵子との対談で、このように語った。
少年というのはまだ不幸を経験していない人間なんですよ。過ぎ去った不幸を知らないんですよ。――中略――少年にとって一番最初に起こる不幸な出来事というのは、失恋のはずですよ。両親に死に別れたり、家が家事になったりというのとは全く異質な出来事なんですよ。つまり、初めて自分が他人に対して挫折したということでしょ。両親が死んだということは、自分の延長上にあることで、他人じゃないんですよ。少年の挫折を描くとすれば、失恋しかありえないと思うわけよ。――中略――最初に強烈な恋をするとするでしょ。そうすると、少年を通して見る少女っていうのは、おそろしく理想的なものですよ。そういう形の自分の理想像がそうではなかったというか、理想像に限りなく接近しようとして、限りなく疎外されるとかね。こういうことの中に少年たちの不幸とか悲哀というのが煮えたぎって入っているんですね。――中略――人格から、その後の生き方からガラッと変えるような傷つき方は失恋しかないですよ。――中略――人にもよるけれど、女性っていうのはあまり失恋だとか初恋に破れたということで痛手を負ってない気がするけどね。――中略――女性は、新しい恋人にあまり抵抗を感じないで変わって行けるようですね。それは神のしからしむみたいな所があって。(笑)男の目から見ると、女の持っている安易さとかずるさみたいなものがやたら目につくんですよ。だけど、それはずるさでもなくって、ひとつの生き方なんでしょうね。――中略――だけど、男の子たちには女ってずるいというような事、わかんないからね。その辺に青春前期の人たちと大人との大変な違いがあるのね。僕はこれこそが、ロマンの源じゃないかって気がしますね。
(「対談 男として女として 光瀬龍VS竹宮恵子」 〈別冊マンガ少年〉『地球(テラ)へ 総集編 第一部・第二部』所収 298ページ)
非常に興味深い内容ではある。だが、ここから過剰に意味を読み取ることは慎むべきであろう。
むしろ、作品こそが、実はすべてを語っている。
評論とは、その作品の語る声なき声を、皆に聞こえるようにするためにある。
(了)